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軽い運動で記憶力UP! 脳と運動の密接な関係とは

筑波大学体育系 運動生化学・神経化学 ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター(ARIHHP)センター長 征矢英昭教授

体を動かす指揮系統──。スポーツでいうところの監督のような立場だと思われていた脳だが、近年の研究では筋肉から受ける刺激が脳機能を高めるなど、脳と筋肉の意外な関係が明らかになりつつある。筑波大学で次世代型健康スポーツ科学を推進する征矢(そや)教授に、脳と体の相関関係について話を聞いた。

アスリートの育成から健康長寿社会の推進まで

「少し前まで、スポーツ科学の分野では筋肉や骨格ばかりが注目され、脳はよく分からない、ブラックボックスだと言われてきました。しかし、スポーツ時に筋肉は“動かされている”のであって、“動かしている”のは、脳に他なりません。そのため、脳の機能を“いかに活性化して高いパフォーマンスを発揮するか”が、現代のスポーツ科学においてはとても重要になっています」

学生時代はハードルや十種競技など陸上選手として活躍した征矢教授。現在の研究にもその体験が生かされているとのこと

今回、話を伺った征矢教授は筑波大学教授、医学博士、さらには2015年に「人間の心身における活力を最大化する」という使命を掲げて筑波大学内に設立された次世代健康スポーツ科学拠点「ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター」(ARIHHP:Advanced Research Initiative for Human High Performance)のセンター長など多様な顔を持つ人物だ。

センター長を務める「ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター」は、“人の身体活動能力(パフォーマンス)は心・技・体の統合による”とする考え方を基盤に、運動生化学や心理学、医学などさまざまな分野の研究者が国内外から集まり、最先端の研究に取り組んでいる機関。

2020年に開催される五輪の東京大会に向けた先進的なスポーツ理論を確立し、アスリートの育成に役立てるのがセンターを設立した目的の一つだが、狙いはそれだけに留まらない。運動と脳のメカニズムを明らかにし、ここで得られた知見を社会全体に還元、“健康長寿国”化をバックアップしようという意図がある。

「運動によって脳の認知機能が高まることが最近の研究で分かってきました。つまり、持久力と認知機能には相関関係があるということです」

これまでにも、2017年5月“運動時の脳にとってグリコーゲン由来の乳酸が重要なエネルギー源となっていること”を世界で初めて明らかにするなど、知られていなかった脳のメカニズムに関する研究結果を次々に発表してきた。

筋肉を酸化させ、運動機能低下の原因と考えられていた乳酸。しかし、マラソンのように脳内のブドウ糖を使い切ってしまうような負荷の高い運動時には、グリコーゲン由来の乳酸が代替エネルギー源になるという(論文はPNAS<米国科学アカデミー紀要>に刊行)

画像提供:ARIHHP

「体も脳も、それぞれ機能を最大限引き出すには、栄養と休養(睡眠)、そして運動がとても大切なんです」

大量のエネルギーを消費する脳の代謝メカニズム

「脳は実に大食漢なんです。小脳には神経細胞(ニューロン)が1000億以上もあり、しかも1個の神経細胞は他の神経細胞と結び付いています。解剖学的な所見では、1個の神経細胞は1000個とつながっている、といわれています。1000億の神経細胞がそれぞれ1000個と交信するのですから、コネクション数は100兆。

この活動には当然エネルギーを使うわけです。

脳が通常エネルギー源にしているのはブドウ糖(グルコース)であることはよく知られていますが、大食漢なのですぐに足りなくなってしまう。脳の栄養が足りなくなると、ボーッとしてきて注意力が散漫になります。そんなとき、甘いものを補給すると頭がスッキリしますよね? 他にもカフェイン、意外かもしれませんがタバコに含まれるニコチンやアルコールにも脳を興奮させたり、刺激する作用があります。

だから、人間が考え出した『おやつ』という習慣は理にかなっているのです」

運動によって脳の代謝が高まる。認知機能を高めるためにも、脳に持久力をつけることが重要だと征矢教授は説く

私たちが当たり前のように行ってきた習慣は、体だけでなく“脳を活性化するため”の行為だったというわけだ。しかし、長時間運動などによる疲労でブドウ糖が決定的に足りなくなってしまったら、脳は次に何を栄養源にするのだろうか?

「ブドウ糖がなくなっても、すぐに脳が死ぬことはありません。代わりに脳内に貯蔵される糖のエネルギーであるグリコーゲンから作られる乳酸を栄養にするからです。昨年発表した論文は、激しい運動中に脳神経がグリコーゲン由来の乳酸をいかにしてエネルギー源にしているか──、その仕組みを世界で初めて解明したものなんですね。ちなみに、脂肪の燃えかすといわれるケトン体も乳酸と同様に神経で利用されています。

そして面白いことに、筋肉内のグリコーゲンは枯渇するまで使ってしまうのですが、脳内のグリコーゲンはいくら疲労しても使い切らないようにできています。消費はするものの、減った分を急速に回復させるべく補給する。脳の細胞にとって、栄養が枯渇することは、つまり死んでしまうことを意味するので、何重にもプロテクションがかかっているのだろうと考えられます」

高強度運動(短時間に行う負荷の高いトレーニング)時に、乳酸を脳のエネルギー源として使う様子を図示したもの。乳酸のもととなるグリコーゲンは、グリア細胞の一種であるアストロサイト内で血液由来のグルコース(血糖)から合成され、貯蔵される(上図)。実験では乳酸の生成に必要な脳グリコーゲンの分解と乳酸の吸収を意図的に阻害し、脳の持久力が低下することを確かめた(Matsui and Soyaら、PNAS, 2017)

画像提供:征矢英昭(征矢研究室所蔵)

そもそも体内に糖分を潤沢に補給できる栄養環境は、近代になって農業が発達し、炭水化物を豊富に摂取するようになってからのこと。

「人類の長い歴史から見ると糖が足りない状況が当たり前であり、それでも脳と体を動かせるように人間はできているんです」と征矢教授は言う。

このことは、将来、認知機能や脳の持久力を高めるために脳グリコーゲンを減らさないトレーニング法、あるいは乳酸やケトンを積極的に利用する方法など、新しい手段が見つかる可能性を示唆している。

近赤外線を用いて脳の活動をマッピングする光トポグラフィという装置について説明してくれた征矢研究室 博士課程1年生の福家さん。ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センターでは、このような最新鋭の実験装置を用いて認知機能を高める運動効果とそのメカニズムをニューロイメージング法から明らかにする実験を行っている

運動が脳を鍛え、休養が脳を育てる!

それでは脳機能を高めるためのもう一つのキーワード、「運動」と「休養」についてはどうだろうか。

「長らく『運動』は筋肉をはじめとする身体機能を鍛え、エネルギーを消費するために行うものだと考えられてきましたが、実はそれだけではありません。運動によって、脳の機能を鍛える効果もあることを見いだしたのです。私たちはこれを“脳フィットネス”と名付けました。

運動だけでなく、休養とりわけ質の高い睡眠を取ることも大切です。質の高い睡眠と高い集中力は表裏一体の関係。日中に体を使って運動すると、夜、熟睡できますよね? 活発に活動した後、ゆっくり休むことでヒトも脳自体も成長するのです。スポーツ科学ではこれを“超回復”と呼んでいます。実は以前から、断眠は脳疲労モデルとして研究され、脳グリコーゲンが減少することが知られていました。一方で、熟睡はこの減少を回復させるのです」

征矢教授らの研究グループは、運動によって消費され、減少した脳のグリコーゲンが栄養の補給と休養によって運動前よりも高いレベルに回復すること=体だけでなく、脳でも超回復が起こることを世界で初めて発見。さらに超回復を繰り返すと、エネルギーのタンクであるグリコーゲンの貯蔵量そのものが増え、脳の持久力が飛躍的に高まるという。

つまり体と脳の持久力は比例するということだ。

ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センターのロゴである青い矢印は“超回復”の様子をイメージ。スタート時と比べて矢印の先端が上昇しているが、これが超回復の効果を表している

「スタミナがあってエネルギッシュな人は、実際に判断力や認知能力においても優れている人が多いといえます。この相関関係に何ら不思議はなく、いわば必然なのです」

ただし、能力を最大限に高めるためにはハードワークも有効だが、その一方でオーバートレーニングにより疲弊し過ぎてしまうと、休んでも回復できなくなってしまうのだと征矢教授は言う。運動と休養(睡眠)のサイクルを正し、限界を見極めながら振れ幅を大きくしていくことで、大きな成長が得られるわけで、何事もバランスが重要なのだ。

さらに、私たちのような一般人が脳を鍛えるためには、必ずしもハードトレーニングが必要なわけではないらしい。

「アスリートが体を鍛えるため、あるいはダイエットのためには中~高強度の運動が必要になりますが、最近われわれの研究で、脳の認知機能を高めるためにはヨガや太極拳、ウォーキングなどかなり軽めの運動で十分であることが分かったのです。

一回の運動によってドーパミンなどの神経伝達物質が増えることで脳が活性化するだけでなく、運動を繰り返すこと(トレーニング)で、男性ホルモンや成長因子など体の成長を促すホルモンが脳に分泌されます。海馬ではこれらが新たに神経を増殖させ(神経新生)、学習・記憶力など認知機能が高まるのです。これは実に興味深い事実です」

低強度運動でも海馬で神経新生が増えるとするデータの一例(これはOkamoto and Soyaら、PNAS、2012などに刊行されている)

こうした研究成果はスポーツ選手が試合で最大限のパフォーマンスを発揮するような場面で役立つだけでなく、認知症の予防・治療にも応用できる可能性があるという。征矢教授は運動の有用性を広く一般に伝えるべく、「フリフリグッパー体操」(ワニブックス刊、2006年)なる誰もが簡単にできる体操を考案するなどの活動もしている。

他にも、2011年3月11日の東日本大震災以降、岩手県南東部の沿岸地域において、小学生児童を対象にした東日本大震災後運動支援プログラム(征矢研究室が開発した約2分間30回のスクワット体操)を指揮・実践し、児童の震災ケアや集中力の高まりなどその効果を実証している。

また、うつ病など気分障害の予防・改善にも“軽い運動が効果的”という研究報告があり、その分野でも期待が高まっているが「その方たちに、いかにして“自発的に体を動かしてもらうようにする”のかを考えなければなりません」とも。

最後に楽しく運動を続けるコツを教えてもらった。

「運動はそれ自体が楽しいものです。その背景には、体を動かすことで脳に影響を与えて気分を前向きにしてくれる、ムードチャンジャー効果があります。かつ、認知機能まで改善すると良いことずくめですが、“運動が嫌い”っていう人も多いですよね?

だから楽しく運動を続けるためには、友達や仲間と一緒に行うことが大切なんですよ」

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