特集
3.11復興のエネルギー

“ラグビーの街”の求心力で実現された釜石鵜住居復興スタジアム

"ラグビーワールドカップ2019(TM)を開催した街"というレガシーを子供たちに

ラグビー日本代表がイングランド南部の港町・ブライトンで世界ランキング3位(当時)の南アフリカに歴史的な勝利を収めたのは2015年9月のこと。ラグビーワールドカップ史上最大のジャイアントキリングと呼ばれた世紀の一戦からさかのぼること約半年。同じ港町の岩手県釜石では旅館「宝来館」でのパブリックビューイングで歓声が上がっていた。次回、2019年のワールドカップ開催国となった日本の12ある試合会場の一つに釜石が選ばれた瞬間だった。それから4年、まだ震災の爪痕が残る中、結実の時を迎えようとしているこの小さな港町を訪ねた。

市民有志の思いと国内外の応援が釜石開催を実現

東京から東北新幹線で新花巻まで約2時間40分、そこからワンマン運転・1両編成が主のJR釜石線に乗り換えて約1時間50分。“鉄と魚とラグビーの街”釜石は、北日本の広い範囲で大雪などの警報が出ていた週末がうそのような晴天で迎えてくれた。

駅前には、新日鐵住金の特殊鋼線材の主力製造拠点である釜石製鐵所が立つ。1985(昭和60)年、この街を拠点に活躍したラグビー社会人チーム「新日鐵釜石」が日本選手権7連覇(V7)の偉業を成し遂げた。彼らは“北の鉄人”と呼ばれ、釜石は今でもラグビーの街として世界にその存在が知られている。

しかし、V7を成し遂げた北の鉄人がパレードした当時には約6万人を数えた市の人口も、鉄鋼業の合理化などの影響も受けて人口流出が止まらず約3万5000人(2019年1月末現在)にまで減少。新日鐵釜石ラグビー部を前身とするクラブチーム「釜石シーウェイブスRFC」(以下、釜石SW)は今もこの街を本拠地とするが、ジャパンラグビートップリーグの2部にあたるチャレンジリーグでの戦いとなっている。

そんな中で、ラグビーワールドカップ2019TM(以下、RWC)の日本開催が決まっても当初は開催地に名乗りを上げようという空気はなかったのだと、最初に訪ねたRWC2019推進室 山本洋樹室長は教えてくれた。

RWC2019推進室 山本洋樹室長。1969(昭和44)年生まれ、岩手県雫石町出身。岩手県市町村課などを経て2016年4月より現職。ラグビーファンで、着任前の2013年10月、日本ラグビー協会の森喜朗会長(当時)が視察に訪れた釜石SWの地元戦も一ファンとして観戦していたのだとか

「市としては復旧復興が最優先の課題。ラグビーを優先させるのか?という市民感情も懸念されました。行政当局として、RWCをやりたいと言い出せる状況ではなかった。しかし、震災があった2011年12月に、市民有志によるシンポジウム『ラグビーワールドカップ2019を語る会』が開催されたんです」

V7戦士の石山次郎氏が代表を、松尾雄治氏がキャプテンを務めるNPO「スクラム釜石」を中心に、国内外の釜石と縁のある人々からも応援が寄せられ、翌年7月にラグビーワールドカップ誘致推進室が設置。そうして2014年7月に開催都市へ立候補し、2015年3月の開催都市決定へとつながったのだ。

「われわれは開催準備はもちろん,スタジアムから造らねばならなかった。そして、ことしからいよいよスタジアム建設に着工という段階を迎えました。建設場所は鵜住居(うのすまい)小学校と釜石東中学校があった場所です。鵜住居地区は釜石市内でも最も被害が大きかった場所なのですが、ここの生徒たち600人は周辺住民と一緒に逃げて犠牲者を出さなかった。そういうシンボリックな地に、未来に向かってビッグイベントを行うスタジアムを造ろうという計画です」

津波が襲った大鎚湾にほど近いが、建設にあたってはもともとあった河川堤防と同じ高さとなるように土地を5mかさ上げ。さらに、鵜住居川河口に水門と高さ14.5mの防潮堤を建設している。

「RWC開催後にはもちろん球技場やイベント会場としても活用していきますが、防災教育にもしっかりと活用していく計画です。例えば、小中学生に防災学習に来てもらうというように、全国の人に震災の経験を伝えていける場所にしようと。そういうことが東日本大震災の風化を防ぐことにつながっていく──われわれ被災した人間は、どういう経験をしたのかということをしっかり伝えていかなきゃならない、それは一つの責務だと感じて取り組んでいます」

釜石駅に隣接して、2015年オープンの真新しいホテルと、その奥にRWC2019推進室の入る「シープラザ釜石」が立つ

駅前を通る国道283号にはラグビーの街の看板がかかる。国道を挟んで立つのが新日鐵住金 釜石製鐵所

故郷を離れたからこそ実感した釜石のアイデンティティ

RWC2019推進室が入居する駅に隣接する施設「シープラザ釜石」にはもう一つ、ラグビー関連の施設がある。

その名も「ラグビーカフェ釜石」。現在はラグビーの魅力を発信すること、RWCの機運醸成を強化することを目的とした交流スペースとなっているが、産声を上げたのは2013年10月のこと。

鵜住居地区のボランティアの方の宿泊所となっていたプレハブ施設の片隅に、NPO「かまいしリンク」の遠藤ゆりえさんらによって立ち上げられた。

NPO「かまいしリンク」代表の遠藤ゆりえさん。「一度外に出てみたからこそ、“子供たちが自分の街でRWCをやった”というレガシーを残すことが、将来にわたって大切だなと感じています」

「RWC開催都市の立候補へと機運が高まっていく中で、側方支援じゃないですけど何か情報発信する場所が必要だと思ったんです。最初は何にもなくなった街のプレハブで、何をやっているのかとかなりいぶかしがられて…。でも、だんだん地域の人が集まってくれるようになったんです」

何もない街で無料でお茶やコーヒーを提供し、気軽にラグビーに触れてもらえたらという思いで「カフェ」と名付けた。遠藤さんは1984(昭和59)年生まれ、釜石市大町の出身。進学した法政大学が当時ラグビーの強豪校であったことから“ラグビーの街”出身であることを意識するようになったという。

「ラグビー部の人から、釜石出身なんだよね?と特別視されたことで再認識したんです。やっぱり釜石のブランドなんだなと。それでラグビーをどんどん好きになっていきました」

国際交流に関心があった遠藤さんは、地元で貿易などの産業支援をしてみたいと釜石に戻って市の外郭団体、釜石・大槌地域産業育成センターに勤務しながら釜石SWの試合を観戦しに行くようになった。そこでニュージーランド出身選手の夫人と仲良くなったのがきっかけで、2年後の2011年にニュージーランドへ留学することに。ところが、留学して半年もしないうちに東日本大震災が発生してしまう。

「実家も流されて家族が避難所にいる状態だったのですぐに帰国しようと思ったのですが、その年の秋にニュージーランドでRWCが開催されることになっていたんです。大変な思いをして留学したんだから観戦していこうよと誘ってくれる方たちがいて、何試合か現地で観戦しました」

そして同年秋に帰国すると、翌年5月に国際交流と復興への貢献を目的としたNPO「かまいしリンク」を設立する。

「RWCが日本で開催されることは知っていましたが、まさか釜石でという話があるとは予想もしていなかったので、帰国して聞かされたときはびっくりしました。でもラグビーカフェを立ち上げて、皆さんに少しずつ受け入れられて。鵜住居エリアのかさ上げ工事のために2016年4月にはシープラザ釜石へ移ってきましたが、少しずつだけど確実に、RWCを楽しみにする人たちが増えていると感じます。今は市役所で国際交流員として勤務しているオーストラリアとアイルランドから来られている女性に協力してもらって月1回、無料の英会話教室なども開催しています。地元の方に向けて、外国人のゲストを受け入れる心構えにと思っていたんですが、中には大会のボランティアをしたいという方もいらっしゃるんです」

他にも、慢性的に不足している宿泊施設を、空き家を民泊施設として活用することで解消しようと学生インターンによる「釜石空き家リノベプロジェクト」もスタートさせた。

「ニュージーランドでのRWCは建国以来という大変な盛り上がりだったんです。日本でどのくらい盛り上がるのか不安だったんですが、2015年に日本代表が活躍してくれたのがすごく大きくて。やっぱりアスリートの方たちはすごいなと思いました。ラグビーカフェには毎月必ず、国内外からラグビーファンの方が聖地巡礼のように訪ねてきてくださるんです。ラグビーを通じていろんな人たちが応援してくれている。今度はRWCの開催を通じて、釜石や東北の復興状況を世界に発信してその感謝を伝えたいですね」

RWC2019に関する情報発信や無料の英会話教室を開催するラグビーカフェ。営業時間は10~17時(第1・3・5火曜は休み)。奥に見えるのはボランティアの方が作ってくれたという子供たち向けのラグビー体験コーナーで、実際にラグビーボールに触れて楽しむことができる

釜石市の中心街、大町が遠藤さんの地元。津波に何もかものみ込まれたが、急速な復旧を果たした

「結」という字を2分割して「糸と吉~ゆい~」と名付けられたリノベーション中のハウス。外装はまだまだだが、内装は床に釜石産の杉でフローリングが張られきれいに仕上げられている

画像提供:NPO「かまいしリンク」

スタジアムができることで加速した街の復興

釜石取材で最後に訪ねたのが、前述の釜石SWゼネラルマネージャー(GM)にして、RWC2019アンバサダーを務める桜庭吉彦さん。東北を代表するラグビーの古豪・秋田工業高校を卒業後、V7を達成した新日鐵ラグビー部に入部、1986年以降は日本代表に選出され唯一ジャパンとして100試合以上の出場(非キャップ戦含め)を果たしているレジェンドだ。RWCにも3大会に出場している。

秋田の出身だが、高校卒業後はラグビーの街・釜石の顔として、ラグビー部がクラブチームとなった後もこの街にとどまった。

桜庭吉彦さん。1966(昭和41)年生まれ、秋田県出身。身長192cm。秋田工業高校3年次に全国高校ラグビー大会を優勝し、卒業後に新日鐵ラグビー部に入部。2001年にクラブチーム「釜石シーウェイブス」となった際に現役引退しヘッドコーチに就任するも2005年にコーチ兼任で現役復帰。翌2006年に再び引退。現在、チームのGMを務める。日本代表キャップ数は43

「住めば都じゃないですが、雪も少なくて住みやすいんですよ。ことしは珍しく雪が積もりましたが」

釜石駅から西へ6.5kmほど。そう言って前週までの雪が少し残る釜石市球技場(松倉グラウンド)の人工芝に立ち、レジェンドは気安く写真撮影に応じてくれた。山本室長、遠藤さんが共に「人格者」と人物評を語ってくれたそのままの人となり、釜石への愛着。RWCの地元開催に向けて、さぞイニシアチブを取られたのかと思いきや、当初、桜庭さんの中では葛藤があったという。

「釜石ラグビー部のOBが中心になっているNPO『スクラム釜石』という団体が、震災被害に遭った釜石をRWC開催都市にと機運を盛り上げようとしていることは間接的に聞いていたのですが、釜石を離れている彼らとは違い、私はまさか現実になると思えなかった。もともとスタジアムがあればまだ考えられたんですが、被災した上にまっさらな状態から造っていくというのはかなりハードルが高いんじゃないか、と」

地元に長く暮らしてきたからこそ、知った顔が仮設住宅で不便な生活を強いられているところも見ている。それでも──。

「知り合いの中には、震災で亡くなられた方もいらっしゃいます。やりたくてもやれなかった人のために、何か新しいことに挑戦していくことも、一方で大切なのではないか、そう考えるようになったんです。2012年にRWC誘致推進室が設置されたときには、ここに住んでいる一人の地元民として素直にうれしかったですね」

語る会の活動の中で、今は離れていても釜石と縁のある方々が釜石でRWC開催をと推してくれる。中にいては見えないことを、外からの視点で気付きをたくさんもらったという。

「結果、スタジアムができることで復興も加速しました。アクセスのための道路や鉄道もかなりスピード感をもって建設されています。RWCに向けて、生き生きと、大きな目標を掲げて街は前進している。昨年11月には対戦カードが発表、この1月にはチケットの販売も開始され、身近に具体的なものが見えてきているので、地元もかなり盛り上がってきているのではないかと感じます」

釜石は12ある開催都市の中で、街の規模もスタジアムも一番小さい。そんな釜石の強みは“人”だ。

「人の暖かさが釜石の強みだと思うんです。その暖かさを、日本はもとより海外から来てくださるゲストの皆さんに感じてもらいたい。その感じたものをそれぞれが持ち帰って語ってくれることで、また岩手や釜石に来てもらえるような、そんなおもてなしができればと思っています」

開催まであと1年と少し。開催地としての自覚を持ってもらうことが大事だと桜庭さんは言う。

「私は99年のウェールズ大会が最後のRWCだったんですが、特に首都・カーディフは熱かったです。ラグビーに対する情熱が半端ではなかった。そういう熱を、この街に来てくれるフィジーやウルグアイに伝えられるかどうか。ラグビーの街・釜石にはそういうカルチャーはあると信じています」

スタジアムは仮設スタンド部分を除いて今夏に完成を予定している。その後、アクセス道路や鉄道の整備状況にもよるが、プレ大会が行われて本番を迎える。

「釜石では2019年9月25日(水)に第1戦がありますが、世界からラグビーファンが釜石にやって来てにぎわっている風景を想像するとワクワクしますね。キックオフの瞬間は、震災という過去のこと、そしてこれからの未来のこと、非常に感慨深い瞬間(とき)になりそうです。ラグビーを象徴するプレーはタックルだと思うんですが、タックルには勇気がいる。タックルをする勇気がある人が、そこで打ち勝つ練習をする。繰り返し繰り返し、倒れても倒れても起き上がって──そんなプレーがこの鵜住居復興スタジアムで繰り広げられるんです」

取材の最後に、桜庭さんにとってエネルギーとは何かと尋ねてみた。復興のシンボルとしてRWCがやって来てスタジアムができる。賛否両論ありながらも求心力となって復興を推し進めてきた、そのエネルギー源とは?

「人の思いがおっきなエネルギーになるんだと思います。それが2019年のRWCにつながって、さらに大きくしてそのエネルギーを未来につなげていく。RWCを開催するだけではなくて未来につなげたい!そう思っています」

新日鐵住金と取引のある米・エックスコール社からの寄付により、2013年4月には釜石市球技場にレンガ調のしゃれたクラブハウスが完成した。「釜石SWのGMとしては、東北のラグビーへの関心を盛り上げていくためにも、2019年にトップリーグに上がれるよう、ことし最後のチャンスをものにしたい」と桜庭さん

高台から大槌湾を望む。中央にわずかながら、山本室長が紹介してくれた建設中の水門が見える。その右手にスタジアムのスタンドが建てられている。周辺のアクセス道や鉄道も2019年の開催に向けて急ピッチで建設が進められている

盛岡から宮古を結ぶJR山田線。宮古~釜石間は震災以降運休中だが、鵜住居駅のホームはすでに再建されており、全面復旧の時を待つ

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