特集
3.11復興のエネルギー

震災復興の総仕上げを飾る日立市新庁舎と池の川さくらアリーナ

日立市出身の世界的建築家・妹島和世さんが具現化した“日立らしさ”

東日本大震災では震度6強という強い揺れに見舞われた日立市。茨城県内でも被害が大きく、地震により市庁舎も市民を迎えるには危険な状態となってしまった。窓口業務を行う仮設のプレハブ庁舎とは別に、半壊したままの庁舎の中でこのまちの復興計画は進められていき、復興計画の最後に位置付けられたのは、新庁舎の建設。復興のシンボルとされた庁舎が出来上がるまでの道のりを取材した。

震度6強の揺れにインフラは壊滅し市庁舎も半壊…

茨城県北部の海沿いにある日立市。総合電機メーカー・日立製作所創業の地であり、企業城下町として栄えた。古くは銅を産出する日立鉱山として明治の末から開発が進んだ。日立製作所は、日立鉱山で使われる掘削機などの修理製造部門にその起源を見ることができる。

このまちの玄関口であるJR常磐線の日立駅は、海岸線からおよそ100mの距離にある。太平洋を一望できる全面ガラス張りの見事な駅舎は、世界的にも著名な女性建築家である妹島和世(せじまかずよ)さんの手による作品だ。2010年に建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を女性として史上2人目に受賞した妹島さんは、高校時代までをこの日立市で過ごしている。

駅の供用開始を間近に控えていた2011年3月11日、震度6強の突き上げるような揺れが日立市を襲った。海を目の前にして立つ駅は揺れに耐え、海岸からすぐに立ち上がる崖によって津波の被害は免れた。

一方、市内では激しい揺れによりインフラは壊滅的被害を受け、被災した家屋は1万5000棟超と多くの被害が出ていた。海岸線から1.5kmほど内陸にある日立市役所も、5棟あった庁舎のうち4棟が半壊、1棟が一部損壊という被害を被ったのだった。

あれから7年。現在、第1期本体工事を終え、その堂々とした姿で立つ新庁舎でわれわれを出迎えてくれたのは、日立市総務部新庁舎建設課の佐川勝宣課長。

「市役所で市民の方々が多く訪れるのは、市民課や税金関係などの窓口部門です。そういった部門は、市役所に隣接した市の土地にプレハブで仮設の臨時庁舎を建て、そこで業務を行っていました。それ以外の管理部門や事業部門については、半壊した旧庁舎を利用して、何かあった際にはすぐに逃げられるように、1・2階の低層階で業務をしていました」

日立市総務部新庁舎建設課の佐川勝宣課長。1963(昭和38)年生まれ、日立市育ち。1986(昭和61)年に入所。税務課、シビックセンターの運営などを経て、2016年4月より現職

東日本大震災以降、震度5弱以上が12回、震度3以上は430回を超える余震がある中、常にヘルメットを傍らに置きながらの業務だったと佐川さんは振り返る。

日立市では、震災直後の3月中に、被災者支援のためにワンストップで相談を受け付ける被災者支援総合窓口を開設。佐川さんはその副本部長を務めた。

「国からの情報が混乱していて、昨日の情報が翌日には変わっているということもしばしば。市民の方は朝から長い列を作って、相談に来られていました。どうしようもない状況でしたが、われわれも何とかしたいとの思いがあったので、苦労しながらも情報の共有に努めました」

そのような混乱の中でも、市民の安全を願う行政は復興に向けた歩みを進めていた。震災の年の9月、日立市の震災復興計画が策定された。その年から3カ年での復興を目指す計画だった。

「計画では被災の復旧だけでなく、災害を受けたことを教訓に“人も含めた災害に強いまちづくり”を目指しました。この計画の中に公共施設の復旧復興として、新庁舎の建設も組み込まれました」

計画策定後、翌2012年2月には日立市新庁舎整備基本方針が策定され、新しい庁舎を造るための具体的なアクションが始まった。

「震災の教訓を踏まえて、新庁舎に備えるべき5つの機能を整備しました。『災害に備える防災拠点機能』『市民にとって便利で使いやすい庁舎機能』『柔軟で効率的な執務機能』『経済性に配慮した環境にやさしい庁舎』『市民が集う交流機能等』です」

2017年4月に庁舎は完成。鉄骨造(一部鉄骨コンクリート造)地上7階、地下1階建てで、旧庁舎5棟を合わせても3倍近い広さが1棟に集約され機能的に。現在、旧庁舎のあった場所に、2019年3月完成予定で大屋根のかかる広場(後述)を建設中

新庁舎は4階に防災対策本部を設置。市内8カ所の海岸線のライブ映像が確認できる。ほか、合計1000kWの自家発電設備(後述)やトイレの洗浄水として利用できる井戸水、免震構造など、災害に強い建物に生まれ変わった

日立市の気風が生んだ「市民が集える市役所」という思想

2012年に設置された庁舎建設準備室を中心として動き始めた新庁舎建設事業は、2013年3月に設計コンペを迎えた。公募で集まった多くの案の中から、事務所の規模や過去の実績などを確認する書類による1次審査の段階で、まずは14案に絞られた。

その後の審査を経て、最終案が決定するまでの経緯を佐川さんと同じ、新庁舎建設課の滝博史係長が説明してくれた。

「14案の段階から2次審査で絞り込む際、コンペ参加者の名前は伏せた状態で行いました。その結果5案が残ったのですが、その中に日立市出身の妹島和世さんのSANAA(サナー)事務所も入っていました」

写真右が新庁舎建設課の滝博史係長。7階展望フロアには完成模型図が設置されている

大学入学のために日立市を離れ、世界で活躍するようになった妹島さんだが、震災以前からも市内の小学校での講演を続けていたという。それだけ故郷である日立への思いは強く、新庁舎建設にも力を果たしたいという気持ちが強かったことがうかがえる。

5案に絞られた設計プランは、討論会という名のプレゼンの場を経て、最終的にSANAA事務所の案に決定した。妹島さんの設計プランの印象について、日立市で働き始めてからずっと建設畑を歩いてきた滝さんはこう話す。

「妹島さんの作品全てに共通することかもしれませんが、ただ庁舎を造るのではなく、市民の方が集える“場所”を提案したいというお話があり、大胆で面白く、強く印象に残りました。その“場所”というのが、現在、第2期工事が進められている庁舎前の広場です。大屋根のかかる大きな広場を造り、市民の方が集えるようになります」

新庁舎の建設現場を訪れた妹島和世さん(写真中央の女性)。工事の各段階ごとに現場を訪ね、細かくアドバイスをもらったという

画像提供:日立市

妹島さん監修によるJR常磐線日立駅。写真の太平洋を一望するガラス張りスペースはカフェスペース。2010年プリツカー賞を受賞。また、日立駅周辺地区整備事業は2012年度グッドデザイン賞、2014年にはブルネル賞駅舎部門・優秀賞も受賞している

日立駅周辺には、かつて妹島さんが手掛けたオフィスビル(写真右)が立つ。天球の単体劇場(プラネタリウム)が印象的な建物は「日立シビックセンター」(写真左)

普段、何かの手続きの際にしか行くことのない市役所に、市民が集う。確かに斬新な発想だ。市の職員が建設にあたって事前に全国いくつかの先進的な庁舎を視察した際にも、「広場」という発想はなかったという。ただ、こうした発想が生まれた背景には、妹島さんが18歳まで過ごした日立市の気風が関係しているかもしれないと、佐川さんは言う。

「日立市は地域コミュニティーがしっかりしていて、全ての小学校区ごとにコミュニティーが形成されているんです。公民館を廃止して、交流センターで市民が中心となってさまざまな活動をしているんですよ。このコミュニティーは最初からあったわけではなくて、1974(昭和49)年に開催された『茨城国体』を迎えるにあたって、日立市では地域でおもてなしをしようということになりました。それを契機に生まれたのが今のコミュニティーなんです」

妹島さんも当時のまちの盛り上がりを肌で感じ、コミュニティーの形成を身近に感じていたに違いない。新たに故郷に誕生する市のシンボルである新庁舎に「市民が集える」という発想を盛り込んだのは、日立市出身の妹島さんならではといえるのではないだろうか。

「妹島さんはコンペで選ばれた際にこうコメントしています。『市民がつくっていく市役所、まちの基になるような場所を提案させていただくので、これからも行政の方々、市民の方々と一緒に、より良いものが出来上がるように頑張っていきたい』と」(滝さん)

「大屋根のかかる広場には、防災拠点の機能として有事の際には支援物資や災害ボランティアの受付の拠点にするという発想があります。広場にはレストランを併設する予定ですが、そこはプロパンガスを利用するので、災害時にガスの供給が止まっても炊き出しができます。普段、皆さんに集まってもらえる仕掛けはこれから考えなければいけません。それはこの新庁舎を託されたわれわれの宿題です」(佐川さん)

市街を一望できる屋上には、庁舎のおよそ1フロア分の照明の電力をまかなえる20kWの太陽光発電設備を設置する。ほか、各フロアの照明にはLEDを採用するなど省エネルギーにも配慮されている

地下にはコジェネレーション発電機が。非常用としてはもちろん、1Fフロアの2/3程度の電力をまかない、また発電による排熱を冷暖房に再利用するなど省エネ対策を兼ねる。地下にはほかにも非常用発電機があり、両方で約1000kWを発電。非常時には3日間の運転が可能となっている

戦後復興のシンボルから、震災復興のシンボルへ

そうして始まった新庁舎の建設だったが、当時は復興需要の増大で入札が予定通り進まず、予算の見直しに伴う設計の変更を行わなければならないことも度々あったという。建築家にとって、設計変更は自らの作品が変わってしまうことにもなる。その時、妹島さんはどう受け止めたのだろうか。

「予算を抑えるために設計を変更するしかないというとき、妹島さんには大胆に設計の見直しを図っていただいて入札に至りました。設計が変わるからといって嫌な顔をされることなく、それよりも事業を前に進めて復興のシンボルを完成させるにはどうしたらいいのか、ということを第一に考えてくださいました」

そして2017年4月、ついに新庁舎が完成し、6月には竣工式典が執り行われた。

「一般的な庁舎と違い、廊下が窓側にあります。以前の庁舎では、日立の山並みや海を見る機会はありませんでしたが、新庁舎では自席からでもちょっと目を上げれば山も海も見ることができます。いい気分転換ができるんですよ」(以上、滝さん)

真っすぐに約80m延びる廊下。窓も広めにとられていて、市内や山並みが一望できる。下の写真のような、景色を写真のように切り取る小窓もあったりと、来庁者をおもてなししようという設計思想が感じられる

海側、山側に配置された廊下の全長はおよそ80mある。一周ぐるりと巡って約240m、西側の窓からは日立の街並みとそれを包み込むように稜線を広げる山並み、東側の窓からは青々と広がる海がよく見える。7階建ての新庁舎は、市民にとっても新たなお気に入りスポットになっているようで、事実、市民の反応も上々だと佐川さんは言う。

「市民の方から、景色の良さはもちろんなんですが、実は『職員そのものが明るく仕事をできるようになりましたね』と言われるんです。われわれが意識せずとも、市民の方からはそう見えているんですね。確かに窓から眺めていると、改めて日立の山ってこんなにきれいだったんだということを感じます。そういう気持ちで仕事をするわけですから、自然と気分が明るくなっているのだと思います」

新庁舎の完成にあたり、日立市の小川春樹市長は「復興の総仕上げ」という言葉を述べている。そこに込められた思いについて、佐川さんに聞いた。

「これはあくまで日頃、市長の言葉を聞いている中で私が感じていることですが、新庁舎建設は復興計画に位置付けた最後の事業であって、まさに震災復興のシンボルとして完成したということがあると思います。それと同時に、新庁舎はこれからのまちづくりの拠点になります。そこに込めた未来展望、日立創生への思い、新しいまちづくりへのチャレンジの意味があるのではないかと思います。震災の記憶は次第に薄れてきます。でも、それはしっかりと次の世代に残していかなければなりません。ですから、震災復興がこれで終わるのではなく、震災の教訓、経験を踏まえて、さらに防災意識を高めて、安心・安全なまちづくりをしていくという思いが込められているのではないでしょうか」

東日本大震災での被害によって取り壊されることとなった旧庁舎は、戦後復興のシンボルとして1953(昭和28)年に建設されたという。そして、東日本大震災の復興のシンボルとして新庁舎が完成した。日立で育った建築家が、日立の復興のために設計し、これから先は行政と市民が一体となって、新しいまちづくりをしていくことになる。

「震災後、市民の方の間には自然に生まれた共生、共助のエネルギーがありました。われわれには、困っている市民を何とかして助けたいという公助の気持ちが自然に生まれました。あれだけの震災でしたから、そういった共助や公助が、復興へのエネルギーになったように思います」

新庁舎の1階。執務スペースのパーティションは腰の高さになっていて、見通しが良い。日立の山並みをイメージした屋根は、屋外広場の大屋根とつながる

日立が立ち上がるときには、桜があった

日立市役所から市内を車で10分ほど南へ行くと、2017年1月に竣工したばかりの市民運動公園総合体育館「日立市池の川さくらアリーナ」が見えてくる。美しい曲線を描く、大きな屋根が特徴の近代的な体育館である。

訪れたのは平日のお昼過ぎ。体育館のアリーナを覗くと、児童体操教室が開かれているのか、たくさんの子供たちが笑顔で跳びはねていた。

館内を案内してくれたのは、体育館の管理を担当する日立市教育委員会スポーツ振興課の菊池弘史さん。

「市民の方からは、大きくなって良かったという声をよく耳にします。体育館が新しくなって一番変わったことといえば、大きなスポーツ大会の開催が多くなったことです。関東大会から全国規模、さらにはバレーボールのVプレミアリーグ、バスケットボールのBリーグまで幅広く試合が行われるので、県内外からも多くの人に来ていただいていますよ。その他にも従来の体育館とは違い、音の反響を抑える構造になっているので、マーチングバンドやジャズコンサートなど、音楽的なことにも使ってもらっています」

メインアリーナに立つ日立市教育委員会スポーツ振興課の菊池弘史さん。1階の壁面からは可動席1152席が引き出せる。2階は固定席1480席と車いす席10席があり、合計で2642席。鉄骨トラス構造の天井には照明やスピーカーも設置されている

スポーツをする人だけはなく、スポーツをしない人も楽しめる体育館になったという。このように、市民にとってさまざまなレクリエーションの場を提供している「日立市池の川さくらアリーナ」だが、この体育館が竣工するまで約6年の間、日立市には大規模な体育館はなかった。旧体育館の被災状況は激しく、市民は利用できない状態が続いていたのだ。

「震災で旧体育館は、支えとなっていた柱18本のうち11本が致命的なダメージを受け、診断の結果、耐震力がないと分かり使用禁止となったのです。新しい体育館の建設にあたっては、市民の方からどんな体育館にすれば良いか、広く意見を聞きました。元々、県北で一番大きな施設でしたので、“いろいろな競技ができるようにしてほしい”“大きなスポーツ大会を見たい”という意見がありました」

さらに、新しい体育館の名称を公募により決めることとなった。公募の総数は533点にも上り、選定委員会を設置し「日立市池の川さくらアリーナ」に決定した。

「この地域は昔の字名で池の川と言いますが、『池の川』の応募は多かったですね。それから応募で多かったのが『さくら』です。日立市民にとって桜はとても身近であり、大きな意味を持っているのです。日立市はたくさんの工場があったため、戦争で空襲被害を受けました。そして、戦後復興の中、駅前の通りには桜が植えられました。通りは『平和通り』と名付けられ『日本さくら名所100選』にも選ばれました」

桜並木が駅へと続く平和通り。1951(昭和26)年に戦災復興の中、約1kmにわたってソメイヨシノ120本が植栽された。「日本さくら名所100選」に選定されている

画像提供:日立市

戦後復興以前にも、大正初期に鉱山の製錬所の排出する煙害で苦しんだのだが、そのときに煙害対策として植えられたのも桜だった。

「日立市民にとって、復興や立ち上がるときには桜をイメージするんです。ですから、アリーナの名前にも『さくら』を入れたいという市民の思いが感じられました」

そうやって震災から6年後、「日立市池の川さくらアリーナ」は開館した。ここで日立市とスポーツの縁を感じさせることがある。旧体育館は1974年に行われた茨城国体のために建設されたのだが、2019年に茨城は、45年ぶりに国体を迎えるのだ。

「前回の国体を契機に、日立市ではスポーツが盛んになり、そしておもてなしのためにコミュニティーが形成されたんです。またこの新しい体育館で国体を迎えられる。こんなにうれしいことはないですよね」

サブアリーナは2階から見学することができる。ほかに、2階には弓道場とトレーニングルーム、1階には武道場(2室)やスポーツラウンジなどがある

2019年に開催される第74回 国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」では、体操、新体操、バスケットボール、卓球の競技会場となる

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