2017.8.23
体内に病院ができる!?ナノテクがもたらすがん治療の大革命
ナノ医療イノベーションセンターセンター長・東京大学名誉教授・東京大学政策ビジョン研究センター特任教授 片岡一則
現在、極小サイズのマシンを使ったナノ医療が、がん治療に革命を起こそうとしている。認可まであと一歩のところまで迫り、実用化もすぐそこ。その技術の開発者、片岡一則氏が医療の常識を変える世界の到来を預言してくれた。
ナノテクノロジーと医療を融合
近年、さまざまな分野で活用されているナノテクノロジー。ナノメートル(10億分の1メートル)という領域は、すなわち分子や細胞壁、DNAのらせん直径と同じスケールであり、これまで半導体技術やITにおいて新素材や新機能の創出に寄与してきた。そして現在、この技術を医療に応用する動きにも大きな注目が集まっている。
その「ナノ医療」の分野において、これまでにない画期的な医療法を開発した人物が、東京大学名誉教授であり、ナノ医療イノベーションセンターセンター長を務める片岡一則氏だ。
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早期胃がんの5年後の生存率は現在90%。これをほぼ100%にし、がんが怖くない世界を実現したいと語る片岡氏
片岡氏は、高分子ミセルというナノマシンを開発し、体内のがん細胞をピンポイントで狙い撃つドラッグデリバリーというシステムを考案した。
ドラッグデリバリーシステムとは、体内で薬が効果を発揮するよう計算して投与し、コントロールする薬物伝達システムのことなのだが、そもそもナノマシンとは何か。またがん細胞を狙い撃つとはどういった治療法なのだろうか。片岡氏が説明してくれた。
「私たちがナノマシンと呼んでいるのは、薬剤を包み込んだ高分子ミセルという分子の化合物のことです。この化合物は、水に溶けやすい親水性のポリマーと、抗がん剤を結合させた水に溶けにくい疎水性のポリマーを水中に拡散することで作られます。完成したこの微粒子は、内層は抗がん剤を内包した疎水性ポリマー、外層は親水性ポリマーの二層構造となった球状集合体になります」
ポリマーとは、高分子とも呼ばれ、炭素原子などが多数、線状に結合した化合物のこと。もちろんマシンといえば、機械工学や電気工学、ロボット工学などの知識を融合させて作られる機械をイメージするが、高分子ミセルは内包薬剤を刺激に応じて放出するといった機械的動作を行うという点で、広義のマシンとみなすこともできる。
このナノマシンは血液中を巡るため、人体との親和性を計る生体適合性の高い素材で作らなければならないと片岡氏は続ける。
「血液は、異物を検知すると血栓ができる性質があります。傷口にかさぶたができるのは、そのためです。もしナノマシンが異物と判断されてしまったら血液が固まり元も子もありません。そこでいろいろな素材を試した結果、血液中でも安定し、生体適合性の高いポリエチレングリコールという素材に行き着きました。これは、意外にも身近にあり、シャンプーや清涼飲料水にも含まれています」
これによりナノマシンが血液中を通って全身を巡ることが可能となり、ドラッグデリバリーシステムが実現する第一歩となった。
体内の化学エネルギーを利用してがんを狙い撃つ
もちろん忘れてはならないのが、これが肉眼では見えない極小世界の話であるということだ。
「ナノマシンの大きさは約50ナノメートルで、あのインフルエンザウイルスよりも小さいんです。例えば、人間が地球の大きさだとすると、ナノマシンはピンポン球くらいの大きさになります」
この50ナノメートルという大きさこそが、がん細胞と戦うために重要だと言う。
「通常、血液は血管の内側にある小さな孔(あな)から酸素や栄養素を細胞に送るのですが、がん細胞はその孔を大きくすることで、多くの栄養素を吸収し、急速に成長する性質を持っています。そこでナノマシンを、正常な血管の孔は通過せず、がん細胞周辺の大きな孔だけ通過するサイズに設計すれば、がん細胞の組織に入っていけること、すなわち狙い撃ちできることに気がついたんです。がん組織にある血管の孔の大きさは、およそ100ナノメートルなので、その孔を簡単に通過できる50ナノメートルというサイズで開発を進めました」
また、ナノマシンで抗がん剤を運ぶことにより、抗がん剤についてまわる副作用が大幅に軽減される可能性も期待できるという。
「従来の抗がん剤治療では、薬が正常な血管の孔を通過し、その効果が正常な細胞にも作用してしまうことで副作用が起きていましたが、ナノマシンは正常な血管の孔は通過できないので、副作用が起こりにくくなります。そうなれば、患者も積極的に利用することが予想され、術後の転移の抑制にも効果が期待できます」
それでは、ナノマシンががん細胞にたどり着いた先で、どのように攻撃を仕掛けるのだろうか。
「実はがん細胞には耐性があります。抗がん剤などの異物を膜で覆い、その働きを不活性化させてしまいます。けれども研究により、その膜はがん細胞の核に近づくほど酸性度が低くなる性質があることが分かりました。そこで、その環境の変化をきっかけにナノマシンが融解し、内包された抗がん剤が放出される設計を施したんです」
現在、このナノマシンを使用したヒトの患者を対象とする治験は、内包する抗がん剤の種類ごとに行われている。そのうちの一つ、転移や再発乳がんに用いるパクリタキセルを搭載したナノマシンの治験は、最終段階の第III相試験までコマを進め、実用化まであと一歩というところまで来ている。そこで有効性と安全性が認められれば、晴れて医薬品としてさまざまな医療機関で使用できるようになる。
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ドラッグデリバリーシステムのイメージ図。ナノマシン(抗がん剤内包高分子ミセル)は組織内へと入り込めないが、低分子である抗がん剤は正常な血管の小さな孔も通り抜けてしまう
画像提供:片岡一則
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ドラッグデリバリーシステムのイメージ図。がん細胞周辺の血管の孔は、ナノマシンが通過できる大きさ。そのため、抗がん剤をがん細胞にのみ、効率的に運ぶことが可能になった
画像提供:片岡一則
異分野出身者から生まれた新技術
片岡氏がこの構想を考えついたのは、1984年のこと。
もともと、学生時代は東京大学で合成化学を専攻し、東京大学大学院で高分子化学の基礎を学んだ。すなわち医療とはあまり関係のない工学出身者であった。
その後、福祉のための化学を重視する恩師の助言もあり、当時、注目されていなかった「バイオマテリアル」(生体材料;人体に移植することを目的とした素材)の研究に進んだ。
当時は黎明期であったがゆえに先例がなく、取り組む研究に確固たる自信が持てなかった。しかし、この時期がナノマシン開発への転換期だったと片岡氏は振り返る。
「大学生のときに、ドイツ人研究者が書いた『高分子医薬』という総説を読み、いつかそこに書かれている薬を作ってみたいと思っていたんです。内容にはいくつか疑問を持ちましたが、当時はその答えを見いだせなかった。時がたってバイオマテリアル研究に携わった時期、それらの疑問点を自分で解決するタイミングだと思ったんです。誰もやったことがないなら挑戦してみようと思いました。結局、素材からシステムまで一から研究を行い、現在に至ったんです」
決して空想ではない体内病院構想
現在のようにメディアで頻繁に取り上げられるようになったのは、ここ10年ほど。片岡氏はこの反響の大きさに対し、うれしさを素直に表す。
「やはり、皆さんに知ってもらい、医薬品として使用されることが最終的な目標ですから、私たちの研究に興味を持っていただけることは、本当にありがたいことです。自ずと次の研究にも熱が入りますよね」
この言葉通り、今も新たな研究に取り組んでいる。それは、がんだけでなく脳腫瘍やアルツハイマー病など、さまざまな病気に対応させたナノマシン、ドラッグデリバリーシステムの開発だ。
「脳腫瘍やアルツハイマー病などの脳疾患では、がんとは血管の構造が全く異なり、100ナノメートルの孔は開いていません。そうするとナノマシンは素材や大きさを変え、またシステムも孔の空いていない血管の壁を通過できるようにしなければなりません。そこで、脳の疾患部位にある血管を検知する能力、つまり異常な血管特有の鍵穴に相当する構造を探し当て、その鍵穴にピタリとはまる鍵を装着したナノマシンの開発を進めています。私たちはこれを分子バーコードと呼んでいますが、その鍵と鍵穴が合致すると孔の開いていない血管でも通過して、脳組織の中へ侵入することが可能となります」
このシステムが確立されれば、これまで細胞組織内への侵入が難しかったバリア性の強い脳にできた病変にも対応可能になるという。
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ナノマシンの模型。黄色い部分が、センサー機能を持った分子
片岡氏の構想は、これにとどまらない。
「目標を検知するセンシング能力をさらに高めることはもちろんですが、小惑星探査機はやぶさのように、手ぶらで戻ってこない能力を作ろうとしています。つまり、体内でナノマシンが自力で異常を検出し、診断と治療を行い、サンプルを採取する。またその情報を体内に埋め込んだチップに送り、そこをプラットフォームに情報分析、発信を行い、次の治療手段に移るというような、全ての仕事を体内のナノマシンが行うことを目指しているんです。最終的には、“体内病院”を作り上げ、いつか病が気にならなくなる日が来ることを期待しています」
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体内病院のイメージ図。ナノマシンが体内で細胞の異変を検出し、重篤化する前に診断、治療を行うため、「いつでも、どこでも、誰でも」知らないうちに健康になっているというサイクル構想
画像提供:片岡一則
もちろん、そのような完璧なシステムを実現するには、もっともっと時間がかかるだろう。けれどもナノマシンが持つポテンシャルは、無限の可能性を秘めていることはうなずける。
がんやアルツハイマー病といった難治性の病をも克服できるかもしれない未来、「病気」という言葉がなくなる時代がやってくるのかもしれない。
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text:伊佐治 龍 photo:笹沢賢一