2017.10.4
レースマシンの研究から生まれたヤマハの3輪バイクがヒトの移動を変える
ヤマハ発動機 LMW開発部グループ プロジェクトリーダー 高野和久氏
最近、町中で前輪が2つあるバイクを見かけたことはないだろうか。ヤマハ発動機が商品化した「TRICITY(トリシティ)」というバイクだ。見た目の奇抜さだけでなく、実は機能性・実用性にも優れ国内でも徐々に利用が広がっている。キーとなるのが「LMW」という技術。開発に携わるヤマハ発動機の高野和久氏にモビリティ革命の今を聞いた。
バイクの安定に重要なのはフロント
コンパクトで走破性を高めてくれる「LMW」。バイク以外の用途への応用も期待でき、モビリティ革命を起こす可能性も秘めるこの機構とは、どのようなものなのだろうか。
「LMWとはLeaning Multi Wheelの略です。左右に並んだ車輪を平行四辺形リンク(部品の動きを連動させるための機構)でつなげることで、3輪や4輪でもバイクのように車体を傾けて(リーンさせて)旋回できるようにしたサスペンション機構の一つ。LMWによって、バイクの機動性と優れた安定感を兼ね備えた乗り物が実現できるようになります」
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LMWを利用したトリシティ開発のプロジェクトリーダーであるヤマハ発動機の高野和久氏
バイクの前輪や後輪をマルチ化するアイデアは古くから存在しており、ヤマハのオリジナルというわけではない。しかし、もともとレース用のバイクを設計していた高野氏が、より安定感の高いバイクを研究していた中で、前輪のマルチホイールは有効だと考えたという。
「MotoGP(ロードレース世界選手権)というバイクレースで、世界最高峰に位置するマシンの設計を含めレース車開発に23年間携わってきました。常に追究していたのは高い安定感。さまざまな方向から研究を進めていくと、フロントの安定感こそが重要であることが分かってきました。
先行技術として研究開発をしていたマルチホイールの発想は、かなり前からありました。ただ、レースにはレギュレーションがあるので、マシンを3輪にすることはできません。とはいえ、これは競技用バイクの話。それ以外なら問題ないわけですから、ここからLMW市販車両のプロジェクトにつながりました」
ヤマハ発動機は2011年、高野氏を中心にトリシティのプロジェクトをスタートさせた。商品化は3年後の2014年。まずはタイとヨーロッパで先行発売。その後、日本市場にも投入され、現在に至っている。
車体の安定感が高い=運転しやすいバイク
LMWを採用したバイクの特徴は、いくつかある。
「まず、フロントマルチホイールは外乱(横風や路面による影響)に強く、片方のタイヤがスリップしてももう片方が支えて姿勢をくずし難いのです。旋回するときは、車体の安定感が高いので、運転者が疲れにくいというのも大きな特徴になります。
また、車体安定感の高さから運転者の精神的負担も減り、運転中の有効視野が2輪よりも広がるということが実証実験で確認されています。ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)制御以外、サスペンションやブレーキのアクティブ制御は行っていませんが、操縦は難しくなく、2輪バイクに慣れている人なら簡単に運転することができます」
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LMWは、前輪のフロントフォークを上下平行に保たれた2本のリンクによって接続。そのリンクの中心には軸が設置されており、車体を傾けると左右にスライドするような動きを見せる
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LMWの機構によって車体が傾いたとき(旋回時)も両輪は均等に接地する
マルチホイールの研究は進んでいたが、あえて4輪にしなかったのは、“バイクのヤマハ”としてこだわりがあったようだ。
「安定感という意味では4輪にするというアプローチもありましたが、その方向にいくと、軽自動車や4輪の超小型モビリティの役割と被ってしまいます。バイクメーカーとして、そして長年2輪車の研究開発に携わってきた自身のこだわりから、4輪とは違った、幅をとらないコンパクトな移動手段を実現したいという想いもありました」
日本よりも世界で拡大中
LMWが発売された当初は、デザインや機構の斬新さ故に一部のマニアから評価を得ていたものの、一般的な浸透は薄かった。しかし、操縦のしやすさや走破性の高さから、警察がパトロール用に採用したり、自治体や観光施設がレンタルバイクとして購入したりと、事業者レベルでの活用が広がっている。
「国内のバイクレンタル店で、トリシティを扱っているところは増えています。でも、実はこのような動きは日本よりむしろ海外の方が活発なんです。最初にEUやアジアで発売したこともあり、ヨーロッパ諸国では都市部のコミューターとして、アジアでは渋滞解消の足として、現在注目されているようです。
また、バイク人口がそれほど多くはない韓国では、警備会社が都市部のモビリティツールに利用して効果を上げていると聞きます。市街地での機動性の高さが警備会社の業務内容とマッチして、移動効率とサービスの向上につながっているそうです」
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(上下写真)ハンドルの操作性を良くするため、ステアリングの軸とタイヤ接地部のオフセットは少なくされている
トリシティの活用状況を調べていく中で、イタリア・ローマではある企業がトリシティを180台導入し、レンタルバイクとして貸し出していることが分かった。ローマにはがたつきのある石畳の道路が少なくないため、LMWの特性が走行環境に適応した一例と言えそうだ。
それぞれの使い方を見ると、さらに新しいアイデアが生まれてくる可能性が高い。安定感の高さからは車椅子への応用が、小型化や大型化ができれば物流倉庫などからの需要も考えられる。荷物を運ぶキャリーカートやロボットの足回りへの展開というのもおもしろいだろう。
これからもコンセプトの提案は続けていく
ヤマハ発動機としては、次世代モビリティという点で、今後のLMWの展開をどう考えているのだろうか。
「現時点で、トリシティ以降のLMWを採用したモビリティ機器の商品化、市場投入の具体的なプランはありません。しかし、LMWの特性を生かしたスポーツモデルなど、ラインアップの充実には取り組んでいますし、これからもコンセプトの提案は続けていきます。その上で、市場の声やニーズに合わせて、新しいLMW技術の可能性を追究していきたいと思っています」
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トリシティ開発中は、バイクに乗りたいと言っていた夫人が気に入るような乗り心地を意識したという高野氏
バイクだけでなく、エンジン、ドローン、ネットワークなど多岐にわたって地味に技術力が高いヤマハエンジニアならではの想いだ。
バイクの新しい形を提案したLMWという技術。乗り物の機能性を高めたことよりも、むしろ多くの産業の構造に変化をもたらす潜在能力の高さに伸びしろを感じる。さまざまな事業やサービスに活用された未来の都市では、ヒトのライフスタイルが大きく変化していることだろう。
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text:中尾真二