2017.12.13
海中でSNS発信!通信の未来を変える水中光無線通信の可能性
国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋工学センター海洋戦略技術研究開発部海洋観測技術研究開発グループ 主任技術研究員 澤 隆雄
今や私たちの生活インフラとして欠かせないインターネット。新技術の開発により、これまで不可能と思われていた水中での無線LANに成功した研究者がいる。同研究が見据える未来について、国立研究開発法人海洋研究開発機構(以下、JAMSTEC)海洋工学センター・澤 隆雄主任技術研究員に話を聞いた。
水の中はあまりにも不便な世界だった
携帯電話やWi-Fiを使う通信機器をはじめ、リモコンやテレビ、ラジオなど、現代に生きる私たちの身の回りは電波があふれている。離れた所にある物を動かしたり、他者と話したりするのに今や欠かせないものといえる。
ところがこの電波は、水の中では減衰量が大きく、ごく近距離でしか使えないという弱点があった──。
「実は電波は水中ではほとんど伝わりません。そのため、私がJAMSTECで水中無線通信の研究を始めた当初(2000年ごろ)は、音でやるしかないと思っていました」
当時をこのように振り返る澤氏は海中工学を専門とし、JAMSTECで無人潜水機と水中通信機器の研究を行うエキスパートだ。
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以前は水中での音響通信を研究していたという澤氏。光による水中通信の実現は新たな可能性を秘めているという
澤氏が語る通り、これまでは水中でも減衰されにくく、数kmも離れた遠距離間でも届くという特性を持つ音波が、水中での実用的な無線通信手段として用いられてきた。
そのため有人潜水船や無人潜水機などでは音響通信が利用されてきたが、通信速度が極端に遅く、大きなデータのやりとりには使えない。また、海中温度の不均一性がもたらす音波の屈折によって、通信可能な方向が制約される。その他、音波同士が干渉しやすいので双方向通信が苦手などの欠点があった。
「音声や観測した数値を伝えるだけなら音響通信でも問題ありませんでした。ただ、高解像度の画像や動画を送受信する用途には全く適していません。また、高度な制御が必要なROV(遠隔操作型無人潜水機)やAUV(自律型無人潜水機、または水中ドローン)を無線で操作するのも、伝搬速度の遅い音波では難しいと思います」
そこで近年、注目を集めるのがレーザーによる光無線通信だ。
※レーザーに関しては特集「未来はレーザーとともに!」参照
地上では光ファイバーケーブルを使った有線通信が主流だが、携帯電話などに搭載される赤外線通信を例にとっても、光は無線での通信が可能。加えて電波が伝わりにくい水中であっても、可視光(レーザー)ならば届くのだという。
「以前であれば考えられませんでしたが、近年、LEDやレーザーダイオードなどの開発が急速に進んだことで、水中でも光で通信できる可能性が生まれました」
その可能性に着目した澤氏は研究を重ね、2017年7月、ついに実海域での光無線通信に成功したのだ。
地上と同じような通信環境が構築できる期待の技術
実験に使われたのは、深海での調査を目的に使用されている遠隔操作型の無人探査機「かいこう」。
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無人探査機「かいこう」は、深海7000mまでの潜行が可能なJAMSTECの有索式・遠隔操作式の無人潜水機。テザーケーブルの重さを負担するランチャー部(写真上)と、実際の調査活動をするビークル部(写真下)からなる二分割構造が特徴だ
水深700~800mの海中で、しかも100m以上離れた移動体同士で水中光無線通信を実現した事例はもちろん世界初の快挙だ。
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実験では水中における光の透過度などを計測し、水中光無線通信で用いる光の波長や通信速度の最適値を算出するための海域基礎データ取得装置も搭載
画像提供:JAMSTEC
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ランチャー部とビークル部、それぞれに搭載する水中光無線通信装置の心臓部。レーザーダイオードや光電子増倍管などが内蔵されている
「実験時の海中は想像していたよりも綺麗でしたが、マリンスノー(肉眼で観察可能な海中懸濁物)のような浮遊物はかなりありました。
事前に透明度の高い水中での実験を繰り返してきましたが、果たして浮遊物がある海の中でも通信できるのか…!?ドキドキしながら実験に臨みました(笑)。
結果は無事成功し、水中でも光を使えば、無線LANのように大容量のデータを送受信できることが証明されたのです」
今回の実験では「かいこう」のランチャー部(親機)とビークル部(子機)の双方に水中光無線通信装置を搭載し、通信状態を確認しながら互いの距離を徐々に開けていく手法が採用された。
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実験では「かいこう」のランチャー部とビークル部のそれぞれに水中光無線通信装置を搭載し、双方向通信を行った
画像提供:JAMSTEC
最終的には通信距離120mで速度20Mbpsのデータ伝送に成功。これは音響による無線通信のおよそ1000倍という通信速度となる。
家庭用無線LAN経由でフルHD動画のストリーミングを見るのに必要な通信速度が3~8Mbps程度といわれているから、十分に実用的な速度といえるだろう。
また、通信距離100mでは無線LAN通信上でのリモートデスクトップ接続にも成功。この結果、将来的には水中ロボットを無線で操縦する新たな可能性も生まれた。
「レーザーの照射範囲を絞れば、より到達距離が延び、通信速度が速くなることは分かっているのですが、今回は100m先で照射範囲の直径が30mほどになるようあえて広めに設定しました。
これは、海の中では送信側も受信側も互いに浮遊している状態のため位置の特定が難しく、レーザーが外れてしまいやすいためです。
また、将来的に民生への転用を考えた時、精密な照射方向の調整が必要な装置では普及しないだろう、と考えたのも理由の一つでした」
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レーザーの強力な光は水中でも遠くまで伝わる。ビーム角度幅(照射範囲)やレーザー出力などは実験環境に合わせて調整することが可能
上の写真はJAMSTEC内の実験用プールにて、実際に海中で使用したのと同じ水中光無線通信装置からの発光を再現してもらったもの。写真では紫色に見えるが、肉眼では青色の鮮やかな光が水中を貫く様子が確認できた。※これはカメラと人間の目では光に対する感度が色によってそれぞれ異なるため
海中での実験ではビークル部からの通信光を青色、ランチャー部からの通信光を緑色とした。赤外線や紫外線レーザーと違い、可視光線であるため照射範囲を目視できるのも本装置の特徴だ。
「通信距離については、その後の試験で190mまで届くことが確認できました。現時点での短期目標は200mで20Mbps。通信速度については、他の機関が近距離での水中光無線通信で1Gbpsを超えたという発表もあり、今後は大いに向上できるだろうと予想しています」
ところで高出力のレーザーといえば、外科手術や産業用カッターとしても使われる技術。光で通信を行う際、人体や魚に危険はないのだろうか?
「レーザーといえども、水の透明度が低い海の中では大きく減衰されます。大ざっぱにいうと1mにつき1割の光量が減る。すると100m先では数万分の1にもなってしまいます。
そのため、発信側は高出力のレーザーを採用し、受信側が光電子増倍管を使って通信感度を高めることで、通信光がわずかしか届かない長距離での通信を実現しました。
つまり光源から十分に離れていれば、人体や海洋生物には全く影響ありません。その点においても、実用性の高い技術ということがいえると思います。ただし、エネルギーの高い光源近くで光を直視すると危険なので、ダイバーが使う際には専用ゴーグルを着けるなどの対策は必要でしょう」
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水中光無線通信装置は株式会社島津製作所と、船上コントロール装置や通信アルゴリズムなどのソフトウエア開発を手掛けるエス・エー・エス株式会社との共同開発による
エネルギーの節約にも貢献! 水の中が断然おもしろくなる
水中光無線通信の基盤となる技術は確立させた。
今後は利用者の要望に応じて、耐圧性能の向上や小型化にチャレンジしていく。将来的には通信装置一式(片側)をペットボトル2本程度の大きさにするのが目標だ。
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「水中光無線通信で海の世界は大きく変わる」と語る澤氏
水中光無線通信が実用化、普及した暁には、果たしてどんな未来が待っているのだろうか?
「海洋調査や資源探査、海洋土木などの分野では無人潜水機や水中ドローンが既に活躍しています。そうした機器と画像データなどの情報をやりとりするために、これまでは直接ケーブルをつなぐか、いったん浮上させるしか方法がありませんでした。
いずれの方法も大きなエネルギーを消費します。水中光無線通信が実現すれば海面上の船などから高速無線通信ができるため、エネルギーロスを大幅に抑えることができます。将来は機械を無線で操作し調査や作業を続けながら、データは船上で回収することが可能になるでしょう」
そうした海洋産業はもちろん、ダイビングなどプレジャー分野にもたらす影響も大きい。“ペットボトル2本分”の大きさが実現すれば、ダイバーはボンベと一緒に背負って潜水し、海中でデータを送受信することも可能となるためだ。
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水中ビークルや海底ステーション、船舶、ドローンなどのあらゆる通信装置を無線LANでつなぐ“水中観測機器のIoT化”も可能だ
「海中でダイビングをしながらサンゴ礁の写真をインスタなどにアップ。そんなこともできるようになるかもしれませんね(笑)」
海底全体に一定の間隔でネットワークステーションを配備することができれば、地上の通信環境と同じような水中光LANを構築することができ、理論的にはあらゆる海洋観測装置をインターネットへ接続する“IoT”すら可能になるという。
まさしく水中での活動全般を大きく変える革新的な技術。静かな世界だった海の中が、にわかに活気づきそうだ。
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text:田端邦彦 photo:安藤康之