1. TOP
  2. トップランナー
  3. 4000kmを走破!究極のエコカーで世界を制す
トップランナー

4000kmを走破!究極のエコカーで世界を制す

東海大学ソーラーカーチーム総監督・工学部電気電子工学科教授 木村英樹

太陽光で走るソーラーカー。古くから知られるエコカーの代表格だが、実はタイムや走行距離を競う世界大会が開かれており、その技術は市販車にも応用されている。まさにF1のような世界が繰り広げられているのだ。そんなソーラーカーの国際レースで数々の優勝を勝ち取っている東海大学ソーラーカーチームの総監督・木村英樹教授に、世界と闘うチームの今を聞いた。

鉄腕アトムからソーラーカーへ

現在、ソーラーカーの世界では名門チームである東海大がソーラーカー開発を始めたのは1991年。日本では70年代に太陽光発電がクリーンエネルギーとして着目され、ソーラーカーレースは93年から国内各地で始まった。翌年、東海大は2人乗り4輪ソーラーカー「かもめ50号」を完成させ、国際レースにも参戦する。木村教授がプロジェクトに関わることになったのはその後の96年からだ。

「子供のころから『鉄腕アトム』を作りたくて電気を専門に研究していたんですよ。でも恩師から一度、レースを見に来いと言われて以来、ホームページの作成などを担うことになったんです。その夏、電子部品のお使いを頼まれて、『持ってきたからには装着しないと』と関わったら、あれよあれよと巻き込まれました。恩師いわく『計算通り』。うそっぽいんですけどね(笑)」

広報から製作に携わるようになり、2005年には監督就任。翌06年には、学生たちが自らプロジェクトを立案して実行する「東海大学チャレンジセンター」が開設され、マシン開発やレース参戦を目指す「ライトパワープロジェクト」を結成。東海大学ソーラーカーチームも新たな体制に。

08年の世界大会「南アフリカソーラーカーチャレンジ」で総合優勝。09年、11年「ワールド・ソーラー・チャレンジ」では、これまで日本ではホンダのチームしか成しえていなかった2連覇を達成するなど、世界トップクラスのチームになった。

「ブリヂストン・ワールド・ソーラー・チャレンジ」で15年に3位入賞した「15 Tokai Challenger」(右)と13年に準優勝した「13 Tokai Challenger」(左)。ドライバーの乗るコックピットは、パネルに影を作らないためや空気抵抗を減らすため、タイヤと平行に片側へ寄せられる

過酷なレース!監督の苦労は口内炎?

そんな彼らが挑んでいるソーラーカーレースは、エコカーという言葉からは想像できないほど過酷を極める。レースによって異なるが、数日間で3000km、4000kmを走破しなければならず、長時間に及ぶ。さらに国際大会の多くは砂漠地帯で行われるため、ドライバーは直射日光にさらされ続けなければならない。

「軽量化や省エネのため、一般車と違って余計な機能は何もないんですよ。車体の中はスカスカですから(笑)。エアコンなんて当然なく、脱水症状になってしまったドライバーもいました。途中でトイレにも行けないので、最小限の水分補給しかできないんですよ」

また、レース中はドライバーだけでなく監督含め周りのサポートスタッフも重要な存在だと、木村教授は話す。

「レースはスピードというより、『いかに効率よくエネルギーを使えるか』が大事なんです。どれくらい太陽エネルギーが集められるかなど事前に人工衛星ひまわりのデータを使って算出したり、路面状況などによっても変わるのでサポートカーの中でもずっと計算して、指示を出したりしています」

ソーラーパネルを取り付けた車体上部を外すと、中にあるのはバッテリーのみ。F1マシンと同じように、快適さを追求した機能は一切ない

レースは日没で一旦終了。そこからはサポートスタッフの出番だ。マシンメンテナンスはもちろん、夜明けには起きて充電を始めなければならない。当然、その間の寝食はほとんどキャンプ。わずかな睡眠時間も、万全の環境でとることはできない。

「キャンプ地には、サソリや毒グモが普通にいます。それに何よりつらいのが口内炎。極度の乾燥の中で会話をするのでなりやすく、まともに指示出しができなくなるほどで本当につらい…。だから冬の間は家で加湿器をつけず、体が順応できるようにトレーニングしています(笑)」

約20年におよぶソーラーカーとの付き合い。だが、木村教授は今年10月にオーストラリアで開催される「2017 ブリジストン・ワールド・ソーラー・チャレンジ」を最後に総監督から引退するそう。

「体力的にキツイ(笑)。今後は相談役的な立ち位置で関わっていきます。最後のレースも、もちろん優勝を目指してこれから製作に入ります」

軽量化を重ね、わずか120kgほどになったソーラーカーが砂漠地帯を駆け抜ける

レース中、給電する様子。カメラの三脚を改造したジャッキアップで車体を傾け、反射板を取り付けて効率よく太陽光を集める。ドライバーの学生のほか、帯同する20名の学生もチーム一丸となって闘っている

最速100km/h!最新の実験マシン

20年前に木村教授が参加したころのソーラーカーは、ノロノロと走り、影があれば止まってしまうものだったが、現在は劇的に進化している。

「以前は40km/h程度しかスピードが出ませんでしたが、今では100km/hで巡航できるまでになりました。ソーラーパネルの進化はもちろんですが、それ以外に車体に使うカーボン素材やモーター、ブレーキの際に発生する運動エネルギーを電気エネルギーに変換する回生ブレーキなど、それぞれの技術が発達したことによって成長してきたんです」

レース用のソーラーカー開発はレギュレーションが決まっている。そのため主な動力源であるソーラーパネルとともに、剛性と軽量化を兼ね備え、空気抵抗の少ない車体やパーツが必要不可欠。多くのスポンサーから最先端技術の詰まったパーツが提供されている。

「例えば、車体に使っているカーボンは飛行機にも使われているものなんですが、これをさらにソーラーカー用に手作業で加工しています。タイヤも同じ力でも市販タイヤの3倍は転がる特別なものです。モーターにいたっては、エネルギー変換効率が98%と、もうすぐ開発の頭打ちの域にまで迫っていますからね」

「最新の実験車」だという東海大のソーラーカーは、いわばF1マシンのようなもの。価格を付けるなら「億を超えてもおかしくはない」そう。それら先端をいくパーツを最大限に生かすため、企業のエンジニアに指導を受けながら学生が主体となって車体設計や制御システムを開発しているのだ。

ソーラーカーレースの注目度は、国によって違う。日本での盛り上がりはあと一歩だが、世界では200を超えるレースチームがあるという

ノーベル賞級の発見が未来を描く

ただ「太陽光発電が今の段階で飛躍的に進化するのは難しいかもしれない」と木村教授は言う。それは太陽光発電の歴史が、まだまだ浅いからだ。

「1905年にアインシュタインが、光が物質に当たると電子が発生する『光電効果』の理論を立て、1954年にトランジスタが発明された。ようやく、現在普及している結晶型シリコンを原材料とした『太陽電池』が生まれたんです。今は革新的な発見や発明が生まれなければ、急激に性能を向上させることは無理でしょうね」

木村教授いわく、この3つの出来事は「ノーベル賞級」。事実、アインシュタインはこの「光電効果」の証明でノーベル賞を受賞している。わずか百数十年程度の研究分野ではあるが、歴史的な偉業が根幹を支えているのだ。

「数学や建築、機械など他の学問に比べたら、まだまだ新参ですからね。ただその分、研究の余地はたくさんあるんですよ。ソーラーカー開発自体、日本では以前に比べて関心は薄れていますが、たとえレースがなくなったとしても研究する必要性は確実にあります」

さらに、ソーラーカー開発から発生する技術研究や性能向上は、日常的な“省エネ”にも直接つながっている。市販車のパーツに使われるようになったものも少なくないのだ。

「2016年に発売されたトヨタのプリウスに使っているソーラーパネルは、うちのマシンに使っているものと同じなんですよ。それにマツダの回生エネルギーシステムに使われているキャパシター(大容量コンデンサー)も世界で初めてうちのソーラーカーが搭載していたんです。今のソーラーカーをそのまま市販化させることは難しいですが、それぞれの技術を応用して市販車に搭載されることはよくありますね」

新たな発見や革新的な発明はなくとも、日々の研究成果はわれわれの知らないところで世の中に還元されているソーラーカー開発。ソーラーカーが街中を走り回る日はまだ遠いかもしれないが、着実にその道筋は築かれている。

学部や学年を問わず、有志で集まりチームに参加する学生ら。卒業して就職後もここで得た知識や経験を生かすだけでなく、メーカーの会社員になり東海大ソーラーカーチームに携わる卒業生もいるそう。彼らが次世代を担っている

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Twitterでフォローしよう

この記事をシェア

  • Facebook
  • Twitter
  • はてぶ!
  • LINE
  1. TOP
  2. トップランナー
  3. 4000kmを走破!究極のエコカーで世界を制す