1. TOP
  2. トピックス
  3. カーボンニュートラルに立ちはだかる大きな壁。電化困難な熱需要への挑戦
トピックス

カーボンニュートラルに立ちはだかる大きな壁。電化困難な熱需要への挑戦

グリーン水素はどうやって作るのか。エネルギー利用の“やまなしモデル”とは?

昨今、エネルギーとしての水素が注目を集めている。水素は天然ガスやLPガス同様のガス体エネルギー(気体燃料)としての可能性を秘めているが、一方で取り扱いを誤れば爆発する危険性も有している。そうした水素のクリーンな製造と安全運用の実現に向けて、世界は今、技術開発の段階から一歩踏み出し、水素製造・利用拠点の大規模化競争の真っただ中にある。一方で、発電利用以外での水素製造から利用に至るサプライチェーン全体の取り組みは、世界でも数えるほどしかない。産業部門における脱炭素化に向けて、製造現場などでの電化が難しい領域ではグリーン水素を燃料に用いる「間接電化」により需要構造の転換が可能だ。ではなぜ間接的な電化なのか──。その答えは山梨県にあった。

数々の困難を乗り越えて完成した水電解装置

山梨県は急峻な地形や豊富な水資源を生かし、古くから水力発電所が建設されてきた。山梨県営や東京電力リニューアブルパワー株式会社ほか民間企業による水力発電は100年以上の歴史がある。また、山梨県営の水力発電は70年近い歴史を有し、2024年度の発電電力量はおよそ4億7,000万kWh、実に一般家庭15万軒分を見込んでいる。

加えて、年間日照時間が国内トップクラスで長く太陽光発電でも高いポテンシャルを持つ。山梨県企業局新エネルギーシステム推進課の宮崎和也課長は、その背景をこう解説する。

「山梨県は2012年の固定価格買取制度(以下、FIT)の開始以来、太陽光発電の導入が一気に進みました。これに先駆けて、米倉山(甲府市下向山町)には当時の東京電力株式会社(現在の東京電力ホールディングス株式会社/以下、東京電力HD)と共同で米倉山太陽光発電所を建設。2012年1月の運転開始時は国内で2番目の規模を誇るメガソーラーでした。FITなどにより導入拡大が見込まれる太陽光発電は、発電時にCO2を排出しないメリットがあるものの、日射条件により発電量が不安定なため蓄電システムも必要なことから、同発電所に隣接して建てられた『ゆめソーラー館やまなし』にて蓄電システムの研究・開発を始めました。その後、隣接地に電力貯蔵技術研究サイトを整備し、本格的な蓄電技術の実証研究が展開されています」(宮崎氏)

米倉山の斜面に広がるメガソーラー発電所。隣接する山梨県企業局のP2G(Power to Gas)システムの実証施設では、国内外で新たな事業展開を見据えた取り組みが進められている

画像提供:山梨県企業局

天候に左右される再生可能エネルギー(以下、再エネ)による発電が抱える最大の課題は、安定的な発電の実現だ。電力貯蔵技術研究サイトでは、課題解決に向けて太陽光パネルで発電した電気を大型のニッケル水素電池やフライホイール(エネルギー貯蔵設備)に蓄える技術を研究。

山梨県企業局は公益財団法人 鉄道総合技術研究所やエクセルギー・パワー・システムズ株式会社などの研究機関や民間企業とエネルギー貯蔵に係る共同研究に取り組んできた。この研究は、発電した電気をエネルギーとして蓄え、再度、電気として放出するもの。再エネによる発電が増えることは、より不安定な電力の大量発電につながり、余剰電力の生じない新たな電力需要の創出が急務である。

需要創出の手段として、国や電力会社は夜間電力を熱エネルギーに転換する「エコキュート」を、昨今、昼間に稼働させる熱の間接電化の施策としても展開。

遡ること14年、この余剰電力を活用し水素を製造する「水電解装置」の将来の導入を織り込み、ゆめソーラー館やまなしでは間接電化の産学官の共同研究を開始。具体的には、余剰電力を水電解装置でグリーン水素に変えて貯蔵・利用。P2Gシステムの原型(1時間あたり1Nm3の水素製造を行う水電解装置等)を導入し研究・開発に取り組んだ。当初は失敗続きだったが、水素燃料電池の研究が盛んな山梨大学の協力も得て、着実に成果を積み重ねていった。

米倉山のP2Gシステム水素バルブスタンド。製造した水素が配管を流れる量を調節する

画像提供:山梨県企業局

「ゆめソーラー館やまなしに導入したシステムは、スムーズな連続運転の実現までに約2年を要しました」と話す宮崎氏

そうした中、山梨大学のネットワークを介した、ある企業との出会いが研究・開発を加速させたという。同課の坂本正樹プロジェクト推進担当課長補佐が振り返る。

「2015年に、山梨大学の水素・燃料電池ナノ材料研究センターの飯山明裕センター長から『東レの新技術が水電解に活用できそうだ』とご紹介をいただき、東レ株式会社とすぐに意気投合、一緒に技術開発の歩みを進めることになりました。翌2016年にはNEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合研究機構)の委託事業に挑戦することで話がまとまり、東京電力HDも含めて当時100kW程度が最大規模であったところに1MWを超える規模での技術開発事業を開始しました。そして2021年、水を電気分解して安全に水素を製造する『固体高分子(PEM/Polymer Electrolyte Membrane:固体高分子膜)型水電解装置』の完成に至ったのです」(坂本氏)

このシステムの画期的なところを坂本氏は次のように解説する。

「水の中に電気を通すことで物質を分解して別の物質にする水電解は、水の中を電気が流れやすくすることが重要です。つまり、食塩など水に溶かすとイオンになる物質、電解質を入れることになります。中でも重用されるのがアルカリイオンで、高濃度の水酸化カリウムがよく用いられます。しかし、水酸化カリウムは劇物であり私たち電気事業者には取り扱いが難しく、液体電解質ではなく、東レが開発した水素イオン電導ができる電解質膜を活用した固体高分子(PEM)型水電解法(以下、PEM型)を採用しました。東レの電解質膜は、水素イオンだけを選択的に通す際の抵抗の少なさと、気体の逆透過防止性能が優れています」(坂本氏)

「東レの電解質膜は水電解に必要な水素イオンだけを通し、ガス透過性が低いので、最初から高純度かつ安全性の高い水素製造ができます」と話す坂本氏

PEM型のメリットはこれだけではない。宮崎氏は「再エネとの相性がとても良い」と話す。

「PEM型は水素の製造量のコントロールが容易で、例えば太陽光の出力が多い時は製造量を増やし、少ない時は減らせます。このため、太陽光や風力など発電量が不安定な再エネとの相性がとても良いシステムと言えます」

山梨県が推進するP2Gシステム「やまなしモデル」の概念イメージ

資料提供:山梨県企業局

コストダウンのカギは、安価な再エネの調達

山梨県が開発したPEM型の装置は構造がシンプルで、装置を連結させて大型化し製造能力を高めることも、逆に装置の数を減らし小型化もできる。そのため、山梨県のP2Gシステムは一つの巨大な水素製造拠点を造り、圧縮した水素ガスを各地に輸送するのではなく、需要のある場所で必要量を製造し、その周辺で利用する地産地消型の「やまなしモデル」の普及を推進している。

その一環として、2022年2月には、山梨県、東レ、東京電力HDの3者が共同で国内初のP2G事業会社「株式会社やまなしハイドロジェンカンパニー(以下、YHC)」を設立。システムの国内外への展開、カーボンニュートラルの実現へ貢献することを目指している。

YHCは日本初のP2Gシステム専業企業として、産業分野におけるカーボンニュートラル、化石燃料からのエネルギー転換を推進する

資料提供:山梨県企業局

しかし、YHCの代表取締役社長を兼務する山梨県企業局の中澤宏樹参与は「水素の価格が大きな課題になっている」と話す。

「現在の技術では、1m3の水素を作るのに約5kWhの電気が必要です。その電気代が1kWhあたり20円であれば、水素の原価は電気代だけで100円になってしまいます。これに水道代や設備の減価償却、人件費などを含めると、価格は200~300円に上ります。これに対し、天然ガスの販売価格は1m3あたり30~40円ですから、水素ガス製造にかかるコストは一目瞭然です」(中澤氏)

このため、国は2023年6月に「水素基本戦略」を改定し、既存の化石燃料との“価格差”を埋めるための価格差支援制度を導入予定だ。

さらに、YHCの監査役を兼務する山梨県の公営企業管理者である村松 稔氏は「国民レベルで水素の理解度を深めてもらうための活動を精力的に行っている」と話す。

「色も臭いもない水素は一般の方にはよく分かりません。そのため、県民に水素事業への理解を深め、身近に感じてもらうため、甲府市では水素燃料電池を搭載した電動アシスト自転車の実証実験を行いました。また、米倉山の施設や県立図書館で水素関連のセミナーを開催し、子どもたちも参加できるイベントでは水素バーナーで焼く焼き鳥屋台を出店したりもしました」(村松氏)

山梨県が目指す新たな「熱・電力のエネルギー需要構造」のイメージモデル。P2Gシステムを普及させ、電力から熱へのエネルギー転換を地域単位で推進。地域で省エネを実現する

資料提供:山梨県企業局

県民に水素事業への理解を深め、身近に感じてもらう活動と併せて重要なのが、水素製造にかかるコストダウンである。もっとも効果が高いのは量産だが、水素の価格に対する装置の価格が占める割合は2~3割程度。残りの大半は電気代だという。

「コストダウンにはいかに安く電気代を調達するかがポイントになりますが、私たちが注視しているのは再エネの余剰電力です。

例えば、夏場は太陽光の出力が上がりますが、需要も増えるために余剰電力は発生しにくくなります。これは電力需要が高い冬場も同様です。しかし、春と秋は快晴で出力は高いものの需要が低い日があります。その場合、余剰電力が電力系統に流れるとブラックアウト(系統崩壊)を起こす可能性があるため、太陽光発電を止めて出力を抑制しますが、このように抑制された電力は2023年1年間で約19億kWhにも上りました。19億kWhといえば、山梨県の1年間の水力発電量の約4倍に当たります。私たちは、余剰電力を無駄にするのではなく、水素ガスに置き換えて貯め、工業団地などで使いましょうと提案しているわけです」(中澤氏)

また、電気代については明るい見通しもあるという。

「現在、FITの賦課金により国民全体で再エネの費用を負担していますが、これは有期限の制度で20年間と定められています。また、太陽光発電の法定耐用年数は17年です。そのため、あと10年も経つと燃料代のかかっていない安価な電気が市場に出てくることが期待されます。そうした電力を上手く吸収していくと、大きくコストダウンできる可能性があると考えられます」(坂本氏)

山梨県を“水素研究・開発のハブ”に

グリーン水素を地産地消する「やまなしモデル」の普及には、P2Gシステムを引き取るオフテイカー(需要家)も必要だ。オフテイカーになる可能性の高い企業は、製造工程で電気では対応できない高温の設備が必要な企業となる。例えば100℃のお湯が必要な場合、ヒートポンプなどで対応可能だが、500~1000℃などの高温度帯の場合、都市ガスや石油などが必要だ。しかし、それではCO2を排出してしまうため、水素ガスの需要が生まれる。

県内でオフテイカーを探した結果、山梨県ではサントリーホールディングス株式会社(以下、サントリーHD)と連携し、P2Gシステムの社会実証に取り組むことで合意。2025年までにサントリー天然水 南アルプス白州工場およびサントリー白州蒸溜所へ16MWの大規模なP2Gシステムを導入する予定だ。

「サントリーで成功すると、ほかの飲料・食品メーカーにも訴求効果があるため大きな期待を寄せています。サントリーの工場は北杜市にありますが、近くにはほかの飲料メーカーの工場や日本酒の蔵元もあります」(村松氏)

工業における脱炭素化への手順を想定したP2Gシステムの工場への導入イメージ

資料提供:山梨県企業局

ただし、食品はBtoCビジネスが多いため、上昇したコストの商品への転嫁が難しく価格差支援制度の終了後の懸念材料となっている。そのため、P2GシステムはBtoBビジネスの方が導入しやすいと考える向きもある。

BtoBの企業では、半導体の製造に必要な石英ガラスの加工工場を持つヒメジ理化株式会社(本社:兵庫県姫路市)と実証事業を行うことで合意している。同社は現在、福島県田村市に新工場を建設中で、工場敷地内にP2Gシステムを導入し、グリーン水素だけでなくグリーン酸素も使用する予定だ。

このほか、海外ではインドの乗用車シェアで約4割ものシェアを持つ、マルチ・スズキの工場にP2Gシステムを導入した国際実証事業を行っている。

米倉山地域を中心に、山梨県ではP2Gシステムの研究・開発、企業への導入が広がりつつあり、グリーン水素における一大拠点としての発展が期待されている

画像提供:山梨県企業局

P2Gシステム導入にはコスト高という課題があるものの、山梨県への視察を希望する自治体やメーカーは後を絶たない。また、サントリーHDやヒメジ理化のほかにも、オフテイカーは増えつつあるが、普及・拡大が進むともう一つ大きな課題が浮き彫りになってくる。

「水素社会が実現すると、次は水素を取り扱う人材の不足が課題となります。例えば、水素輸送のために水素高圧ガスを作る場合、資格者を複数名配置しなければなりません。可燃性の気体ですから取り扱いルールを理解し、安全性を考慮して操作しなければならないのですが、それを担う人材の確保が難しくなるでしょう」(宮崎氏)

そのため、今から人材育成にも力を入れなければならないが、山梨県はその人材育成に、まさに適した環境であるという。

「水素を製造する現場があり、毎日水素を作りお客さまに届ける実務を行っているのは、全国的にも山梨県だけです。水素研究では世界でもトップクラスの山梨大学もあります。また、2024年4月にはゆめソーラー館やまなしがリニューアルし、『米倉山次世代エネルギーPR施設きらっと』がオープンしました。ここではP2Gシステムの見学体験など、脱炭素社会の実現に向けたエネルギーの知識を深められる場を提供しています」(宮崎氏)

このほか、次世代エネルギーの研究開発拠点として2023年に建設された「米倉山次世代エネルギーシステム研究開発ビレッジ『Nesrad(ネスラド)』」も、貴重な人材育成の場となっている。

「Nesrad」の研究棟には、公募によって選ばれた企業(プロジェクト)が入居し、最先端の研究者や技術者が交流。夏休みには学生たちを招待し、第一線の研究者によるセミナーなども実施している

画像提供:山梨県企業局

「Nesradではグリーン水素を使ったさまざまな研究が行われていますが、『蛇口をひねれば生のグリーン水素が出てくる』ような恵まれた実験環境を用意しています。こうした環境は世界でもここだけで、『ぜひ使わせてほしい』という話はよく聞きます。また、建設が進行中のリニア中央新幹線の山梨県駅(仮称)も近くに設置予定で、アクセスも今後向上します。将来的には世界の水素研究・開発のハブに育成し、山梨県の価値を高めていきたいと考えています」(宮崎氏)

国の「水素基本戦略」では、2030年までに国内外における日本関連企業の水電解装置の導入目標を15GW程度と設定。また、水素供給コストは2030年までに30円/Nm3、2050年までに20円/Nm3を目標としている。

これは日本の水素社会実現への本気度を示すものと考えられるが、中澤氏も「もう引くに引けない状況。もし私たちが引けば、日本のグリーン水素の研究・開発が止まってしまう」と覚悟を見せる。

世界では、米倉山の実証設備の規模を超えるプロジェクト構想も散見され始めたが、遂行可能な段階のものは10%にも満たないという。それだけに米倉山は世界的にも希少な実効性の高い水素の製造現場であると言えよう。

エネルギー安全保障の観点からも、国内産グリーン水素による水素社会の実現に大きな期待が集まっている。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Twitterでフォローしよう

この記事をシェア

  • Facebook
  • Twitter
  • はてぶ!
  • LINE
  1. TOP
  2. トピックス
  3. カーボンニュートラルに立ちはだかる大きな壁。電化困難な熱需要への挑戦