2021.5.7
老いを止めても寿命は変わらない? 老化のメカニズム研究が死生観を変える
東京大学医科学研究所 癌防御シグナル分野 教授 中西 真【後編】
「老化はなぜ起こるのか?」「科学の力でそれを止めることはできるのか?」をテーマに研究してきた東京大学医科学研究所の中西 真教授。【前編】では、多様な老化細胞の共通項を見いだし、老化細胞だけを効果的に除去する方法を発見した経緯について話を聞いた。【後編】では、老化を妨げると体にはどのような変化が表れるのか、また老化と寿命の関係性について迫っていく。
病気を防ぐだけでなく筋力もアップ! まさに若返りの薬
【前編】で言及したとおり、細胞の老化はがん化するのを防ぐ手段の一つである。
※【前編】の記事「老化は防げる? 加齢現象を劇的に改善するメカニズムを医学研究者が発見」
老化細胞はリソソーム膜が傷ついて内側から酸性の液体が漏れ出している。そのままでは細胞死を招くので、老化細胞自体が「なんとか生き延びよう」と生存本能を発揮して、アンモニアを作り出して中和するのだった。
「生き延びた老化細胞が蓄積すると、周りにあるさまざまな細胞に炎症を引き起こすことが知られています。すると臓器などは機能不全に陥ってしまいます。それだけでなく、がんを誘発することもあります。老化細胞はがんを防ぐ自己防衛システムの一つでありながら、周りの細胞に悪影響を与える存在でもある。そうした二面性をもっているのです。通常、細胞から老化細胞への誘導そのものを止めると、がん化への防御機構を失ってしまいます。そのため、一旦は作られた老化細胞を取り除く方向で考えました」
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「GLS1阻害剤が想像した以上の効果を示してくれた」と語る中西教授
それでは、GLS1阻害剤を用いて老化細胞を除去すると、体の機能はどのように変化するのだろうか?
マウスを使った実験では、加齢性変化の特徴として知られているじん臓の糸球体(小さな穴が開いた微細な毛細血管で形成された顕微鏡レベルの微小な固まり)硬化や肺の線維化(硬化)、肝臓の炎症細胞浸潤(しんじゅん/白血球やリンパ球などの細胞が炎症部位に集まってくる状態)、糖尿病など、さまざまな症状の改善が見られたという。
さらには生活習慣病である動脈硬化も劇的に改善。およそほとんどの臓器で機能回復が見られたのである。さらに中西教授は続ける。
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老化細胞にGLS1阻害剤を投与すると、肺や肝臓、じん臓、動脈硬化、さらに生理機能(筋力)まで改善することが判明した
「筋力も大幅に回復しました。マウスを棒につかまらせる(ぶら下がり懸垂のような)実験では、若いマウスは200秒くらい棒を握っていられるのですが、年老いたマウスだと力が衰えているので通常は30秒くらいで落ちてしまうのですね。それが老化細胞を除去することで、100秒くらいまでキープできるようになります。内臓だけでなく筋力も含めて、体内の至るところで効果が見られたのは、正直、期待以上の結果でした」
GLS1阻害剤は誰もが使える薬になり得るか?
内臓から筋肉まで、加齢による疾病、機能低下を一網打尽にできる。その上、偶然にもGLS1阻害剤は今、抗がん剤としても期待されている最中だ。
治験を通して効果が認められれば、まさに夢の新薬誕生になるだろう。
「今回、皮膚や毛髪の定量的な観察は難しかったものの、そこでも効果は出ているはず」と中西教授は言う。加齢性疾患の治療だけでなく、美容にも役立つとなれば、世間の注目はより一層高まる。ちなみにGLS1阻害剤は経口で摂取できる可能性があるので、将来的には誰もが薬局で手軽に入手できるようになるかもしれない。
ただし、中西教授はこうも語る。
「もしGLS1阻害剤が実用化されたとしても、まずは生活に支障を来すほど深刻な加齢性疾患を持っている方、あるいは早老症(染色体異常などが原因で著しく早く老化が進行し、若くして加齢性疾患が発症する疾患のこと)の患者さんたちから投与すべきでしょう。そこで実績を積んだら対象が少しずつ拡大されるかもしれませんが、GLS1阻害剤はあくまで薬です。副作用が全くない薬は存在しません。今回の研究成果も病気の治療として役立てられることが前提です。もし、将来的に普及したとしてもサプリメントのように日常的に、気軽に用いられるべきではないと考えています」
健康寿命は延びても最大寿命は延びない、その理由
ここでふと素朴な疑問がよぎる。薬によって老化を抑制できるなら、それを突き詰めれば寿命の延伸もできるのではないか?
だが、中西教授の考えでは、今回の発見はあくまで健康寿命を延ばすことにつながるものであって、寿命そのものを延ばすものではないという。
「老化が人間の死と密接に関係していることは疑いようもない事実ですが、生物の寿命はそれだけで決まるものではないと思っています。というのも、人間は加齢とともに死亡率が上がるのが当然と考えていますが、他の動物に目を向けると必ずしもそうではないからです。例えば、カメは若齢であっても老齢であっても、死亡率はほとんど変わりません。このような老化現象がほとんど見られない生物は他にもたくさんいます。ただし、生物の種類ごとに最大寿命はあります。つまり、最大寿命を規定している何らかの因子が、加齢以外に存在しているということです。ただ、その因子が何であるのかまでは、現時点で分かっていません」
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解剖を見守る中西教授。老化を恣意的に促進する方法、生体内で老化細胞を特定する方法など、前提となるさまざまな研究成果の積み重ねが今回の発見につながった
寿命が加齢によるものでないのなら、仮に老化を完全に防ぐことができたとしても、最大寿命は変わらない。それでも、健康寿命は延びるので、ある年齢に達すると健康なまま眠るように死に至る──。
それはある意味、理想的な生命の終え方と言えるのかもしれない。
寿命を規定している要因については、細胞が一定回数以上分裂すると、染色体の端にあるテロメアが短くなり、染色体が傷つくためにそれ以上細胞分裂をするのをやめる「テロメア説」。進化の過程でたまたまそうなったとする「偶然説」などがあるが、現時点で有力な仮説はない。
それが「あらかじめ定められるもの」だとするなら、遺伝子に起因するのではと想像したくなるが、教授によると遺伝的要因以外にも別の因子が存在すると考える方が自然だという。
「例えばミツバチの例が挙げられます。ミツバチには働き蜂と女王蜂がいますが、両方とも同じ遺伝子です。働き蜂の中から選ばれた個体が女王蜂になり、ローヤルゼリーを与えられるのですね。すると寿命が働き蜂の30~40倍も伸びる。これは遺伝的要素だけでなく、後天的要素によっても寿命は変わるという証拠といえるでしょう」
脊椎動物よりも単純なクラゲのような生物には一旦成長した後に前段階の姿(ポリプ)に戻る「若返り」が見られる種もある。もっと単純な単細胞生物の多くは、寿命という概念すらない。寿命や老化のメカニズムは、かくもミステリアスで、今なお謎に包まれているのだ。
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「もしかしたら人間もいつか、カメのように老年になっても健康で活動的なまま生涯を終えられるようになるかもしれません」と語る中西教授
老化のメカニズムを解き明かす研究は、生命の神秘を巡る旅に違いない。
そうした分野において中西教授らの研究グループが成し遂げた今回の発見は、大いなる一歩となった。
今のところ有効性が確認されているのはGLS1阻害剤だけだが、老化抑制にもっと効果的な方法があるのではないか。
その答えを求めて、中西教授らは日夜研究を続けている。
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text:田端邦彦 photo:安藤康之