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スポーツマネジメントの極意

平昌五輪での大躍進をもたらした、スピードスケート界の構造改革

日本スケート連盟 スピードスケート強化部長 湯田 淳【前編】

ことし2月に開催された平昌五輪において、金メダル3個を含む6個のメダル獲得、15の入賞という輝かしい戦績を残したスピードスケート日本代表。大躍進の背景には、2014年ソチ五輪後に新設されたナショナルチーム体制、それを支えたコーチ陣の存在があった──。スピードスケート強化体制の陣頭指揮を執った、湯田強化部長にマネージメントの極意を聞いた。

スピードスケートの救世主として選ばれた

新聞やテレビなどで「メダルラッシュ」という文字が躍った平昌五輪。

中でも近年、低迷が続いていたスピードスケートでの大躍進は見る者に鮮烈な印象を残した。才能ある選手たちの存在と共に、選手強化体制の抜本的な見直しがあったことをご存じだろうか?

「かつて日本が得意だったスピードスケート競技は、長らく低迷の時代が続いていました。2010年のバンクーバー五輪で一時持ち直し、“ここから復活だ”と息巻いたのですが、ソチ五輪ではメダルゼロ。これは何か対策を打たなければ、ということで私が日本スケート連盟のスピードスケート強化部長に任命されました」

スポーツバイオメカニクスを研究する日本女子体育大学の教授でもある湯田氏

かつて自身が選手だった経験を持ち、スピードスケートを専門に研究する研究者でもある湯田氏。強化部長に任命される以前から科学的な知見を生かして選手たちをサポートする役割を担ってきた。

日本のスピードスケートが落ち込んでしまった理由について、湯田氏はこう分析する。

「スピードスケートは個人競技が中心であることから、有力選手は企業の実業団に所属し、それぞれにトレーニングを行うという構図でした。景気の良い時代はそれでも全く問題ありませんでした。ところが、ある時期から、企業が選手のために十分な予算を確保できなくなったり、解散してしまうチームが目立つようになってきました。実業団同士が切磋琢磨する状況が崩壊してしまったんですね」

そしてこう続ける。

「実力ある選手は個々にスポンサーを見つけ、コーチを付けることができましたが、行き場に困ってしまった選手もたくさん生じてしまいました。また、競争のない世界では選手やチームの成長は見込めません。ソチ五輪での惨敗は、スピードスケート界全体を取り巻く、そうした構図から生まれたものでした」

トレーニング方法やコーチ人事を見直す以前に、スピードスケート界全体の構図を変える必要があったのだ。強化部長就任後、湯田氏はさっそく抜本的な構造改革に乗り出す。その手法とは、ナショナルチームの編成とそれを支える新しい強化体制の構築だった。

「“才能と可能性のある選手が良いトレーニングをする機会や環境に恵まれない”という状況でした。これではいけない、ということで日本スケート連盟としてナショナルチームを作り、そこでしっかりと選手を強化できる体制を作ることにしました。衰えてしまった日本のコーチング技術を補うため、海外の有能なコーチも招聘する。

つまり、ナショナル化と国際化という二本柱で臨む、ということですね」

強化部長に就任した直後に定めた強化方針。変革の理念を重んじる湯田氏の姿勢がうかがえる

強くするには痛みも必要だった

ナショナルチームを作った背景には、2006年トリノ五輪から正式種目となったチームパシュートでメダルを獲得する狙いもある。

団体競技であるチームパシュートでは、チーム全体でのトレーニングが不可欠だったからだ。

メダル獲得数の推移といったデータを基にした、現状分析から組織の変革は始まった

ただ、このナショナル化には反発する声も少なくなかった。

特に実業団を有する企業からは不満が噴出。その対応に追われる毎日だった、と当時を振り返る。

「企業にとっては、それまで長年手塩にかけて育ててきた選手を『なぜ手放さなければならないんだ!』という感情だったのだと思います。ナショナルチーム所属では、『たとえメダルを取っても会社の名前が出ないじゃないか』と。

私は『そんなことは絶対にあり得ません。結果的に選手が強くなって活躍すれば、会社の知名度も必ず上がります! 何より選手自身のためでもあります』と説得して回りました。事実、本当にそうだと思っていたからです」

もちろんナショナルチームへの加入は絶対ではなく、個別強化選手として予算を付ける、という道も選べるようにした。

ただし、その条件は“五輪や世界距離別選手権でメダル獲得もしくは入賞した実績”という厳しいもの。これは、限られた予算を適切に配分するためだったが、そうした新体制への反発は一層強まった。それでも、不満がある場合には意見書を提出してもらい、全ての要望に対して真摯に対応していったという。

「それまで受けていた予算が出なくなる。ましてや新しい取り組みが結果を出す前なのですから、反対の声が上がるのは当然ですよね。でも、誰もがスケートを愛している──。だからこその発言だと分かっていたので、私も一件一件、エネルギーを注いで説明に回りました。それでも全ての不満の声はなくなりませんでしたが、無事に結果を出せた今では、多くの方にご理解いただけたのではないかと思っています」

たとえ、その時点で理解してもらえなくても一方的に押しつけることはせず、徹底的に意図を伝える。

こうした湯田氏の姿勢はスポーツの世界に限らず、ビジネス上のコミュニケーションにおいても大いに参考にしたいところだ。

組織力の構築が強化のカギ

ナショナルチームの編成は、技術や知見を1カ所に集積させてトレーニングの質を高め、各強化選手に平たく提供することが目的。その上で、パシュートでは肝となる選手同士のチームワークを高める効果を期待した。

また選手だけでなく、トレーニングをサポートする強化委員を組織化、連携させたのも特徴だ。

強化部長を筆頭とし、ナショナルオールラウンド、ナショナルスプリントという2つのチームで新たに構成し直された新強化体制

「それまでの強化委員は、各選手が所属する有力実業団や大学の監督たちで構成されていました。その体制ではどうしても個の目標が優先されてしまい、一丸となってチーム全体のレベルを上げるという目標設定が難しいと言えます。私が強化部長に就任して以降は各強化委員の役割を明確化し、それぞれが連携できる体制を整えました。

科学分析もかつては個人が担当するという仕組みでしたが、徐々に強化スタッフを増やし、現在は映像・情報分析、生理学、栄養学、トレーニング評価、コンディショニングなど高い専門知識を持つスタッフを集め、組織化しています。五輪などプライオリティの高い大会で勝つには個人の力でなく、組織力で臨む必要を強く感じたからです」

ヘッドコーチは、現在のスピードスケート界では圧倒的な実力を誇り、コーチング技術も発展しているオランダからヨハン・デビット氏を招聘(2015-16シーズン)。ヘッドコーチとしてまだスタートしたばかりで、オランダ本国でも実績は乏しかったものの、選手を強くしてあげたいという情熱、仕事に全力で取り組む姿勢、科学的なデータに則りながらも盲信するのではなく、自身の経験則とうまくすり合わせるコーチング技術を高く評価しての抜擢だった。

その彼も『自身の技術を正しく伝えるには、自分一人ではなく、チーム体制を作る必要がある』と湯田氏に訴え、結局はアシスタントコーチもオランダから日本に呼び寄せ、さらにはオランダ在住のストレングス&コンディショニングトレーナーとも契約することになった。日本スピードスケート界の歴史でも前代未聞の事例だ。

何ごとも予算ありき、前例ありきの日本スポーツ界で、こうした新たなチャレンジを実現することにどれだけ膨大なエネルギーが必要だったかは想像に難くない。スケート界全体への情熱がなせた技だろう。

スピードスケート強化部長に就任してからの4年超、全体の総括から細々した仕事まで、精力的にこなしてきた湯田氏。彼が挑んだのは、ある団体、ある組織の再編成ではなく、日本スピードスケート界全体の構造や固定観念を変えることだった。



<2018年9月28日(金)配信の【後編】に続く>
科学的分析がスピードスケートにもたらしたものとは?チームパシュートに代表される科学的分析の裏側、4年後の北京五輪に向けた湯田氏のビジョンをお届けする。

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