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発想の転換がもたらした新たな光明! 液体のりの成分ががん治療を変える

東京工業大学 科学技術創成研究院 化学生命科学研究所 西山研究室 助教 野本貴大【後編】

ホウ素化合物とポリビニルアルコールは、水の中で混ぜるだけで簡単に結合する──。スライムの化学を応用し、第5のがん治療法として期待されているホウ素中性子捕捉療法(以下、BNCT)の治療効果が劇的に高まることを発見した東京工業大学 野本助教らの研究グループ。後編では、具体的な治療効果と発見に至ったプロセスを聞く。

新薬剤の発見が課題解決への道を開いた

がん細胞に捕食させたホウ素化合物(BPA)に熱中性子を照射することで核反応を起こし、がん細胞を死滅させるBNCT。

しかし、臨床試験で使われているホウ素化合物には「集積性は高いものの、長時間同じ場所にとどまりにくい」という弱点があった。
※前編の記事「“スライムの化学”で難題を克服! 次世代がん治療法の効果を最大化する魔法の材料とは」

東京工業大学の西山伸宏教授・中村浩之教授と共に、ホウ素化合物に使用する薬剤の研究について活発に議論を重ねてきたという野本助教

その弱点を克服するために見いだされたのが、ホウ素化合物を高分子と結合させる野本助教らが開発した方法だ。

「こちらが、マウスの皮下に人の膵臓(すいぞう)がんから取り出したがん細胞を移植した実験の集積量推移グラフです。今までのホウ素化合物では、注射直後、薬剤全体の4%ががん細胞に集まります。一般的な抗がん剤では1%も集まらないので、これでも集積性は高い方なのです」

ヒトの膵臓がん細胞をマウスの皮下に移植したモデル(左のグラフ)では、従来のBPA(茶色の線)が注射3時間後から集積量が大幅に落ちているのに対して、ポリビニルアルコールを結合させた薬剤(紺色の線)では6時間後でも注射直後に近い集積量を保っていることが分かる。マウスの大腸がん細胞を移植したモデルではその傾向がより顕著だ

体内に入れた直後には、高い集積性を発揮する今までのホウ素化合物。ところが、注射後3時間を経過したころから急激に集積量が下がり始め、6時間後にはわずか1%程度にまで落ち込んでしまうという。

集積性だけでなく滞留性をいかにして上げるかが課題だった。

「そこでホウ素化合物にポリビニルアルコールを混ぜる(結合する)とどうなるのかというと、投与直後から高い集積性を示し、6時間経過しても高いレベルの濃度を維持してくれます。BNCTでは約5%という濃度が必要と言われているので、投与初期から6時間後まで濃度5%以上の高い数値を保つことが重要だったのです」

薬剤の効果が長時間にわたって維持されることの重要性。その背景には、BNCTという治療方法特有の事情がある。人体に熱中性子を照射するには特別な装置が必要であり、薬剤の投与から照射までの行程には、どんなに急いでも数時間程度は必要だからだ。

つまり、がん細胞内に薬剤がどれだけ長くとどまっていられるかが、治療効果を大きく左右するのである。

あらゆる部位のがんに適用できる可能性

それでは薬剤の集積性と滞留性が向上すると、具体的にはどれだけ治療効果が高まるのだろうか?

下記は、マウスの皮下に腫瘍を移植し、経過日数ごとの腫瘍体積を比較した実験結果のグラフだ。

マウスの大腸がん細胞を皮下に移植したモデルでは、野本助教らが開発したポリビニルアルコールを結合させた薬剤を使用すると、治療開始から25日を経過しても腫瘍の体積に変化が見られず、根治に近い結果を得ている

ご覧の通り、熱中性子のみではほとんど効果がなく、25日を経過した時点で体積が100倍以上にまで増えている。一方、従来のホウ素化合物を注射した場合にはある程度の効果が認められ、40倍程度で済んだ。

「従来のホウ素化合物でも、高い治療効果が得られますが、どうしても再発するケースが出てきてしまいました。がん細胞は少しでも残っていると増殖してしまうからです。それが、今回作ったポリビニルアルコールをホウ素化合物に結合させたものを使うと、ほぼ根治といえるレベルでがん細胞を死滅させています。これは、実験に用いた6匹全てのマウスで同様の効果が確認できました」

実験では大腸がん細胞を皮下に移植して行われたが、BNCTは多発性のがんやびまん性のがん(広い範囲に広がったがん)、再発したがんなど、さまざまな症例への適用が期待できるという。

「これまでの放射線治療は病変だけでなく健康な組織も攻撃してしまうため、部位を特定できないがんは治療することができませんでした。BNCTは薬剤ががん細胞へと集まり、その部位でのみ核反応が起きるのが特徴です。そのため、がんの形がはっきり把握できなくても、薬剤を投与して広い範囲にぼやっと熱中性子を照射すれば、がんが治療できるのです」

また、将来のBNCT普及を見据えた上でも、今回の発見は希望が持てる。

現在のBNCTで主流になりつつあるのが、“加速器型”と呼ばれる中性子線源。従来の原子炉型に比べて設置のハードルが格段に低く、病院内に設備することも可能だからだ。

BNCTの中性子線源はこれまでの原子炉型から、より安全で簡便、コンパクトな加速器型に移行しつつある

ただ、現状の加速器型中性子線源は熱中性子の産出量が少なく、深部に発生した病巣には届きにくいという性質がある。

その点、がん細胞によく集まり、長くとどまるポリビニルアルコール結合ホウ素化合物なら熱中性子が少なくてもよく反応するため、原子炉型同様の高い治療効果が期待できるそうだ。

未知の領域こそ研究する価値がある

作り方は従来の材料と水の中で混ぜるだけ。その上安全性が高く、信じられないほど安価。液体のりなどにも使われる身近な材料であるポリビニルアルコールが、BNCTの治療効果を大幅に高める希代の素材であることを見いだした野本助教らの研究グループ。

発見に至った経緯は、材料を模索している最中に、たまたま机の上にあった液体のりがこぼれて…といった偶然の産物ではない。

「従来のホウ素化合物に加える高分子にはどのような構造が理想的かを考えて、試しにポリビニルアルコールの構造式を書いてみたところ、スライムの化学式とそっくりだったんですね。素材としての適性をはじめ、将来的な実現可能性なども含めて、とても相性が良かったのです。今回の発見は、いくつもの構造を考え抜いた結果でした」

どこにでもあるような材料だったために「本当に計算通りうまくいくのか?」という疑念はあったというが、そこにセレンディピティと言われるような奇跡はない。地道な研究を根気強く続けたからこそ得られた成果なのだ。

BNCT薬剤の研究で大きな実績を残した野本助教。“光と薬剤でがんを治す”光線力学療法の薬剤研究も並行して行っている

また、薬物送達学を研究してきた野本助教がBNCTに関わるようになったのは、2014年に東京工業大学へと移ってからのこと。同大学の中村浩之教授との出会いがきっかけだったという。

「私が所属している西山・三浦研究室のちょうど上の階に、中村教授の研究室がありました。当時、中村教授は日本中性子捕捉療法学会の会長を務めていらして、BNCTが持つ課題などをいろいろと教えてもらい、今回の研究についても助言いただきました。当大学には研究室が異なる先生や学生ともフランクに情報交換できる風土があり、そうした風通しの良い環境が今回の成果にもつながったと感じています」

学部生の頃、薬物送達学と中性子捕捉療法の片りんに触れ、発想の斬新さに感銘を受けた。そのときに抱いた「いつの日か自分も、そうした人とは違う発想で新たな発見をしたい!」という思いが、研究活動を続けるエネルギーになってきたと野本助教は語る。

2016年にオートファジーの研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典栄誉教授の言葉にも影響を受けた。

「大隅先生がノーベル賞受賞の記念講演をされたときに、“多くの人がまだ注目していない分野に焦点を当てた研究こそ面白い”という内容の話を聞き、インスピレーションを得ました。薬物送達学といえば、その名の通り薬剤を必要な部位へ送り届けるための研究が主流の学問。それなら視点を変えて、どうやったら長くとどまることができるか? に注目してみよう、と思ったのです」

偉大な先輩研究者の言葉が刺激となって着想に至り、自由に情報交換できる研究環境によって育まれた今回の成果。

全てのがんを治せる時代に向けて、道は着実に切り開かれつつある。

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