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「亜熱帯モード水」が気候変動の謎を解くカギ? 太平洋にある巨大な水塊の秘密に迫る

東京大学 大気海洋研究所 准教授 岡 英太郎【前編】

地球の表面積の7割以上を占める海洋──。しかし、海洋内部がどのような動きをし、また地球環境にどのような変化を与えているのかというメカニズムはまだ一部しか明らかになっていない。そんな海洋物理学の世界で、最近注目されているキーワードが「亜熱帯モード水」だ。CO2を大量に吸収するという性質を持つこの海水を研究する第一人者である東京大学 大気海洋研究所の岡 英太郎准教授に、その神秘的なメカニズムについて聞いた。

日本の亜熱帯モード水は黒潮が源

「亜熱帯モード水」という言葉を聞いたことのある人は、まだ少ないはずだ。

だが、いずれ気象予測や気候変動、地球温暖化対策などを語る上で外せない存在になるかもしれない。

モードとは統計学の世界で最頻値を表す単語で、特定のデータにおいて最も頻度が高い値を指している。何を測定したかによって表す値は異なるが、亜熱帯モード水の場合は水温と塩分だ。

「海洋は基本的に海面に近いほど温かく、海底に近いほど冷たい構造になっています。温かいほど比重が軽く、冷たいほど比重が重いためですね。太平洋では水深が1000mより深くなると、海水温はどの緯度帯でも5℃程度以下に下がります。しかし、1969年に発表された論文によって、亜熱帯域の深さ200~500m付近には水深が変わっても温度が一様になっている不思議な水塊(すいかい)が存在することが明らかになりました。これを海洋物理学では亜熱帯モード水と呼んでいます」

こう語るのは、東京大学 大気海洋研究所で海洋物理学を研究する岡 英太郎准教授だ。

岡准教授によれば、ある海域で海水を調査したとき、特定の水温と塩分で特徴づけられる海水の体積が最も多かった(=最頻値だった)ことから、海洋学者である増澤譲太郎によって亜熱帯モード水という名前が付けられたという。

水塊という言葉が使われるが、もちろん目で見て他の海水との境界がはっきりしているわけではない。あくまでも水温や塩分濃度などが周囲とは異なる海水という意味である。

その海水温は約17℃(北太平洋亜熱帯モード水の場合)で、水深が深くなっても温度がほとんど変わらない。なぜ、海の中にそのような“水の塊”ができるのだろうか?

「解明されていないことが多い分野だからこそ、挑戦してみたい」という動機で海洋物理学の研究者になる道を選んだという岡准教授

「北太平洋亜熱帯モード水の場合、要因は黒潮に由来しています。ごく簡単に説明すると、冬に黒潮が南から運んできた温かい海水が大陸からの季節風(いわゆる北風)によって急減に冷やされ、深さ数百mに達する鉛直(えんちょく)方向の対流が起きます。そして、沈み込んだ海水は下層の海水と混ざり合い、表層に水温約17℃の一様な海水の巨大な塊ができます。これが亜熱帯モード水です。モード水の定義は、同じ水温と塩分を持った水が大量にあること。その体積は膨大で、最も成長する冬の終わりごろには鉛直方向に300~400m、水東西方向に4000km規模にまで大きく広がります」

波や海流によって絶えず攪拌(かくはん)されているように見える広大な海。

その中に、ほぼ同じ温度と塩分を持った巨大な水塊が存在するとはにわかに信じがたい事実だ。しかも、ずっと同じ場所にとどまっているわけではなく、季節とともに移動して変容するという。

「春になると海面付近の水は20℃以上に温められて性質が変わり、亜熱帯モード水だけが海洋内部に取り残されます。ちょうど上からフタをされたような状態ですね。その後は海洋内部の流れに乗って南西方向に移動しながら、徐々にその一様さを失っていきます。それから数千kmの旅を経て、再び北太平洋の西端(日本列島の南)に達した後に亜熱帯モード水を構成していた水の多くはまた黒潮に乗って元いた場所(形成域)に戻っていくと考えられますが、詳細な経路はまだ判明していません」

亜熱帯モード水の形成と輸送の模式図。青が形成域、水色は形成域で作られた亜熱帯モード水が流れ込む分布域を表している

(Oka et al., 2019)

北太平洋の北緯15度から35度くらいの海域には「亜熱帯循環」と呼ばれる大きな時計回りの流れがあり、北太平洋亜熱帯モード水もその流れに乗って移動するというわけだ。

なお、亜熱帯循環も亜熱帯モード水も北太平洋特有の現象ではない。世界には5つの亜熱帯循環があり、それぞれの場所で亜熱帯モード水が形成されている。亜熱帯循環は中緯度の東向きの偏西風と低緯度の西向きの貿易風によって駆動され、北半球では時計回りに、南半球では反時計回りに循環するのが特徴だ。

地球の自転によるコリオリの力(回転座標系上で移動した際に移動方向と垂直な方向に移動速度に比例した大きさで受ける慣性力の一種)の影響を受けて、北半球の場合、どの循環系においても海域の西端に北向きの強い海流(西岸境界流)が発生。それが黒潮となり、北太平洋亜熱帯モード水の源流となる。

海面における流れの模式図

出典:気象庁ホームページ 海洋表層の循環の模式図(北半球冬季における循環を模式化)

観測機器の進化でメカニズムが明らかに

北太平洋亜熱帯モード水は世界に5つある亜熱帯モード水の中でも最大の面積であり、体積でも北大西洋亜熱帯モード水と並んでトップクラス。

そのような現象が起きる場所が日本から比較的近くにあり、観測活動に直接携わることができたのは研究者として幸運だったという。

「世界最大の亜熱帯モード水が日本の近くにあり、気象庁による船舶での海洋観測が継続的に行われてきたことには、感謝しなければいけない」と語る岡准教授

「私が大学院を出て、最初に働き始めたのが現在のJAMSTEC(国立研究開発法人 海洋研究開発機構)でした。そこで『アルゴ計画』に関わるグループに配属され、海洋観測システムを作る仕事に携わることができたのです。当初はシステムを作ることにかかりきりで研究どころではありませんでした。それがあるとき、暇つぶしのつもりで読んだ論文が亜熱帯モード水について書かれたもので、これは観測システムを使って研究する価値のある対象だなと直感しました。当時は、その後20年にわたって研究を続けることになるとは思いもしませんでしたけどね(笑)」

「アルゴ計画」とは地球規模の海洋観測網のこと。海面から水深2000mまでの水温や塩分、圧力を自動的に計測できるロボット「アルゴフロート」を全世界の海に配備し、海洋内部をモニタリングしている。

2000年に始まったこの計画は2007年時点で、目標の3000台を達成。現在は約4000台が常時稼働している。船舶によるサンプル採取や人工衛星による海面の測定といった従来の観測方法では分からなかった新たな事実が、アルゴによって次々と明らかになっていった。

例えば、熱がどのように循環して海面水温にどう影響するのかといった海の内部で起きている事象や、季節単位、年単位、10年単位という時間的な変動まで分かるようになったそうだ。

各種センサーが搭載されているアルゴフロート。これを海中に沈めることで海水の水温や塩分を定期的に計測する

「これで海洋の物理的な循環はある程度分かるようになりました。すると、次は化学的に海水の成分がどうなっているのか、どう変化するのかが知りたくなる。さらに、その先を言えば、海洋生物への影響ですね。このように一つの研究対象が分野横断的に波及するところが、海洋学の最も面白いところです」

地球環境全体にも多大な影響を与えていた亜熱帯モード水

そんな亜熱帯モード水だが、近年はある特性によって海洋物理学以外の分野からも注目されている。

それが大気中のCO2をよく吸収するという性質だ。

海洋と大気の間で大量のCO2を交換している事実は、以前から知られていた。海洋の中にはCO2を吸う海域と吐き出す海域があり、亜熱帯モード水は吸う海域に当たるという。

「海水には『温度が低いほどCO2がよく溶ける』という性質があります。ですが、同じ場所に長くとどまっていると、海水中のCO2と大気中のCO2は交換を繰り返した末に平衡状態となり、CO2を吸収することも放出することもしなくなります。しかし、亜熱帯モード水形成域では、黒潮が南から運んできた温かい海水が冬の季節風で一気に冷やされるため、『海水がCO2を溶かすことのできる余地』が大きくなっており、大気中のCO2吸収能力が非常に高いのです。同じ海域でも夏になると海水が大気にCO2を放出しますが、冬の吸収量の方がずっと大きいため、年平均で見ると亜熱帯モード水形成域は大気中CO2の強い吸収域となっています」

大気中のCO2を吸収する海もあれば、大気にCO2を放出する海もある。

それは大気と海洋のCO2濃度差、そして海水の温度変化によるということだ。

そうであれば、両者の吸収量と放出量は釣り合うように思われるが、実際は海洋が多くのCO2を吸収しているというから謎は深まるばかり。

【後編】ではその理由をさらに詳しく解説していただく。



<2021年10月19日(火)配信の【後編】に続く>
亜熱帯モード水の化学的な特性と生態系への影響、そしてさらに10年周期で変動が起こる理由とは

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