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原子の質量も正確に量れる!単位の新定義がもたらす技術革新の可能性

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 計量標準総合センター 工学計測標準研究部門 首席研究員 藤井賢一【後編】

2018年11月に採択され、いよいよ今年5月から施行される質量・キログラムの定義改定――。文字にすればちょっとしたことに聞こえるその背景には、数十年という長い時間と、各国計量学研究者のたゆまぬ努力の積み重ねがあった。後編では、世界的偉業に貢献した産総研の役割と、新定義によって社会にもたらされる未来について迫る。

キログラムの定義改定に貢献した産総研の技術力

国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下、産総研)の藤井賢一氏が、キログラムの定義改定に携わってから約20年がたった2011年。日本、イタリア、ドイツなどの研究機関で組織された「アボガドロ国際プロジェクト」は念願がかない、「国際キログラム原器」の精度を超える測定結果を出すことに成功した。前編では当事者の一人である藤井氏に、その意義と積み重ねてきた苦労について長い年月を振り返ってもらったが、成果を出せたその根底には、最後まで共に戦った3カ国の技術力の高さがあると、それぞれを讃える。
※【前編】の記事はこちら

「イタリアは、2011年に測定のための新しい『X線干渉計』を開発し、制御技術を飛躍的に向上させました。ドイツは、この国際プロジェクトのきっかけを作っただけでなく、日本と共に多岐にわたる測定項目で力を発揮した上に、濃縮シリコン単結晶を作製する際にロシアとの交渉にも尽力してくれています。貢献度は一番高かったと思います」

イタリアが開発した「X線干渉計」。同位体濃縮されたシリコン単結晶から作る3枚の板にX線を照射する装置で、3枚の板を原子レベルで移動させ、格子定数を測定する

資料提供:産業技術総合研究所

そして特に、ある一人の人物が果たした仕事を忘れてはならないという。

「シリコン単結晶からシリコン球を切り出し、見事な球体に研磨してくれたオーストラリア人特殊研磨技師の存在です。球体表面の凹凸の標準偏差(数値の散らばり度合い)がなんと5ナノメートル(nm;10億分の1メートル、100万分の1ミリメートル)という精度。その技術には相当驚かされました」

また、日本代表である産総研は、総合的な技術力を生かし、シリコン球の体積や表面分析、質量、密度、モル質量、格子定数の均一性などを測定し、アボガドロ国際プロジェクトが2011年と2015年、2017年それぞれに発表したプランク定数の測定データに貢献。特に2017年には産総研単独でも、国際キログラム原器より高い精度の測定結果を発表した。

藤井氏によると、産総研がこのプロジェクトのために開発した「レーザー干渉計」は、レーザー波長精密制御技術によって、球体の直径を2300方位から、0.6ナノメートルの精度で測定できるという。さらに、「X線光電子分光法システム」と「分光エリプソメーター」という装置も新たに開発しており、表面を覆う数ナノメートルの厚さの酸化膜を除いたシリコンコアの質量と体積を精密に測定した。これらの新たな技術開発が大きく貢献した結果、精密なアボガドロ定数、そしてプランク定数を導き出すことにつながった。

産総研が開発した「レーザー干渉計」は、シリコン球体の直径を2300方位から測定する装置。藤井氏によると、全てコンピューターで自動計算されるが、計測におよそ5日間かかるとのこと

資料提供:産業技術総合研究所

「その後、2018年11月に開かれた第26回国際度量衡総会では、産総研やアボガドロ国際プロジェクトが出した4つのデータに加え、米国やカナダ、フランスが導き出した4つの値から、私が委員を務める科学技術データ委員会で決定したキログラムの定義となる最良の調整値を採用することが採択されました」

それぞれが提出した8つのデータのうち、4つの測定値に産総研は関わっている。それだけでも誇りに思えることだが、欧米諸国以外の国が国際単位系の定義に決定的な役割を果たしたのは、単位の長い歴史の中で初めてのことだという。

「日本の技術力を世界に示すことができたのは非常にうれしいですね」

新定義が超微小質量の世界に革命を起こす

計量学、物理学の世界では偉業として讃えられているキログラムの定義改定だが、基礎物理定数の一つ「プランク定数」によって定義されると、この世界にどんな変化があるのだろうか。

「マイクログラム以下の超微小質量に対する計測が革命的に変わります。新定義となるプランク定数は、原子核を組成する電子1つの質量と関係付けられているので、マイクログラム(μg;100万分の1グラム)以下の超微小質量である『メゾスコーピック領域(10-7~10-18グラム)』や『ミクロスコーピック領域(10-18グラム以下)』の質量を正確に量ることができるようになります。『メゾスコーピック領域』のサイズは、環境中にある微粒子PM2.5など、『ミクロスコーピック領域』とは水素原子やタンパク質の分子などのレベルです」

超微小質量の領域を表したイメージ図。プランク定数が定義になることで全ての領域で基準に基づいた測定ができるようになるという

資料提供:産業技術総合研究所

革命的に変わるということは、それまでできなかったことができるようになるということ。これまで基準とされてきた「国際キログラム原器」では、そういった超微小世界の質量は測定できなかったのだ。

「国際キログラム原器と超微小質量の物質とでは、質量に差があり過ぎて、てんびんで比較することができませんからね。原器を基準にして超微小質量を量るには、原器を基に作られた小さい分銅と比較するしかないのです。しかし、現代の最新技術をもってしても実用化できた最小分銅は1ミリグラム程度。電子天秤で誤差を補正しても0.1マイクログラムのばらつきが出てしまいます。当然、誤差より小さいマイクログラム以下の超微小質量は、従来の定義では信頼のおける測定値を出すことはできなかったのです。

ちなみに、それまでどうやって測定していたのかといいますと、メゾスコーピック領域の微粒子は、千個、一万個の微粒子を集めて計測し、1個あたりの質量を割り出していました。一方で、ミクロスコーピック領域は、定義される前からプランク定数を基準に電子の質量を求めて1分子の質量を決めていました。もちろん、どちらも定義に基づいていませんから、質量の値に信頼性はありません」

つまり、これからは微小世界を含む全ての領域で基準に沿った質量が測定でき、それらを比較することができるようになるのだ。藤井氏は、この偉業達成に産総研が貢献できたのは、ひとえに40年前に一歩目を踏み出した諸先輩方のおかげだという。

「科学の世界は、いきなりブレイクスルーがやってくると思われがちですが、ほとんどの場合はあきらめずにコツコツと技術改良を続けるという土台があってこそ成し得るものだと思います。アイデアがあっても、成就する技術がなければ元も子もない。当時は、自分が生きている間に実現しないと本気で思っていたので、途中で断念しても不思議ではありません。事実、そんな研究も山ほどあります。それでも、この結果を見ると、なおさら研究や失敗を着実に積み重ねていくことの大切さが身に染みます」

新定義が施行されるのは、2019年5月20日。それ以降、技術さえ持っていれば誰でも基準にのっとって質量を量ることができるようになるという。それは、世界中の研究機関に技術革新のチャンスを与えることと同義なのだ。

正確な計測こそ新しい技術を生み出す種

「『SI(国際単位系)基本単位』の定義改定の歴史を振り返ると、メートルの定義が普遍性の高い基礎物理定数である光速度に変わってから、光通信技術やGPSなど重要な新技術が生まれています。また、レーザークーリング(レーザー光による冷却方法)や光周波数コム(レーザー光源の一種)、光格子時計(原子時計の一種)などノーベル賞クラスの研究も続々と行われています。同じようにキログラムの定義改定の恩恵を受けるとすれば、創薬、インクジェット技術や三次元プリンター、さらには薄膜(はくまく)や三次元デバイスといった次世代半導体などではないかと思います。

創薬の現場では、何百万種類という薬を配合して研究が行われています。そこには耳かき1杯で100万円という高価な薬剤もありますし、一説には、新しい抗がん剤を一つ開発するのに、およそ500億円がかかると言われるほどです。つまり試薬を無駄にできない。ですが質量を正確に量ることができれば、開発での必要量が明確になり、コストや期間を削減できます。

またインクジェット技術や三次元プリンターは、インク1滴の質量が約1ナノグラム(ng;10億分の1グラム)ですから、定量化や制御、均一化や微細化に応用できるでしょう。次世代半導体の分野では、容量を上げるために三次元メモリーの開発が進んでいます。メモリーの層が96層ある構造のものもありますが、その1層の質量を正確に量ることができれば、より精巧に作ることができるようになり、ひいては高性能化が期待できるでしょう」

藤井氏の予測を聞く限り、現時点で私たちの日常生活には何も起きない。だが、多くの業界で技術革新を促し、きっと未来に何かをもたらすことになるのだろう。これを実現するためには、まだまだやるべきことが残っているそうだ。

役目を終えたキログラム原器は、整合性を確かめるために安定性の高い分銅として用いられる予定だが、いずれは文化財として博物館などで見られるかもしれないという

「新定義によって、ナノグラム領域やピコグラム(pg;1兆分の1グラム)領域などの超微小質量が測定できるようになりますが、まだ実際に計測するための技術は開発段階です。これまでの装置とは異なり、電気や光の力で精密に測定するシステムになりますから、試行錯誤しながら開発を続けていきます」

大仕事を成し遂げたばかりの藤井氏だが、既に新たなプロジェクトを推し進めている。現在開発中という計測装置が完成したとき、さまざまな分野の研究者、技術者たちが何らかの形を与え、私たちにあらためて単位の重要性を教えてくれるのかもしれない。

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