スポーツマネジメントの極意

箱根の名門復活へ、どん底からの第一歩…大胆な人事を丁寧にフォローせよ

中央大学 陸上競技部駅伝監督 藤原正和【前編】

年明け(2019年1月2日<水>・3日<木>)に95回目の開催を迎える正月の風物詩、東京箱根間往復大学駅伝競走(以下、箱根駅伝)。同大会は、長き歴史の中で数々の名勝負が繰り広げられてきた。自身も箱根を走った名ランナーとして活躍し、母校・中央大学 陸上競技部の駅伝監督として2度目の箱根路に挑む藤原正和氏。近年、苦境にあえいできた駅伝名門校を復活へと導くそのマネジメント論とは。

就任当時、失われていた名門校としての誇り

陸上部所属の学生だけが入居している東豊田寮(東京都日野市)を訪ねると、藤原監督が指導時と同じジャージ姿で出迎えてくれた。2016年まで現役選手だっただけあり、その姿はエネルギーに満ちあふれ、今でも学生たちと肩を並べて走れそうな若々しさだ。

中央大学陸上部出身で、在学中の4年間全て箱根駅伝本大会に出場。2度の区間賞獲得、往路優勝を経験している。駅伝以外でも、大学4年時に初挑戦したマラソンでは、現在も破られていない初マラソン日本最高記録を樹立。大学卒業後は実業団のホンダに所属し、世界陸上などで活躍した華々しい経歴は、紛れもなく陸上界のエリートである。

「いつか母校の役に立てたら、という思いはありましたが、まさか引退直後のタイミングで声が掛かるとは思っていませんでした。はたから見ると成功者に見えるかもしれませんが、私自身としてはけがなどで失敗続きだった現役生活という印象しかありません。

そうした苦しい経験を学生たちにはさせたくない、厳しい状況から立ち直るすべを教えたいという思い、そして私がかなえられなかった五輪に出場するような選手を育成したいという思いが、監督になることを決めた理由でした」

2003~16年までホンダに所属し、世界陸上に3回選出(2回出場)、東京マラソン優勝など長距離選手として輝かしい成績を残した藤原監督

中央大学は箱根駅伝において歴代最多出場(全95回のうち92回の大会に出場)を誇り、1950~60年代には最長記録の6回連続総合優勝を果たした関東駅伝界の古豪だ。

だが、近年の成績は振るわず、ここ数年においてはシード落ち。本大会に出場するのが精いっぱいという状況が続いてきた。

そこで2016年3月、名門復活への道として監督に起用されたのが藤原氏だった。当時の成績低迷理由を、藤原氏はこう分析する。

「私が現役だったころ(第76~79回)、才能ある選手に恵まれていたにもかかわらず総合優勝を果たせなかったことが、低迷への大きなきっかけとなってしまったのは事実です。その後、箱根駅伝への注目度が一層高まる中で、明治大学や青山学院大学など他校が力を付けてきました。さらにはそうした状況にあっても、わが校は予算や指導者などの面で変わろうとしませんでした。これらが低迷の要因であると考えます」

実際、藤原氏が監督に就任してから目にした母校の状況はひどいものだったという。

無断で練習を欠席する学生がいたり、寮の門限を守らないといった規律を乱す行為が横行していた。また学生の素行を戒めるという目的で、長距離ブロックは一時的に学年ごとに分断されてバラバラに練習が行われており、全体の底上げを狙った冬の強化練習も満足にできていない状態だったのだ。

「今思い出しても、衝撃的なスタートでした」と当時を振り返る。

東豊田寮のエントランスには、これまで中央大学陸上部が獲得してきた数多くのトロフィーが飾られている

これでは育成どころではない。そこで、まずはチームを一つにまとめ、集中して練習に取り組む環境づくりの構築に取り掛かった。それまで月に4回あった“門限のない日”を月1回に変更、バイク通学の禁止なども実施した。

「改革の意図は、“精神面と肉体面、両方の鍛錬し直し”にありました。練習は土・日曜にしっかりと行い、月曜日をフリー(休息)に設定しています。でも、日曜の夜に門限がないと、夜通し遊んでしまいますよね。学生たちはエネルギーにあふれていますから(笑)。

そんな生活は、学校から予算をもらってスポーツに臨む競技者としては、到底ふさわしくありません。ただ、デートしたり、遊びたいときもあるだろうからと、月に一度は門限のない日を設ける。それでも22時には帰ってくる生活習慣を身に付けよう、と説得しました」

競技者としての自覚を持ち、睡眠や栄養をしっかり取る──。

藤原氏からしてみれば、基本的ともいえる生活リズムを安定させることからのスタートだった。

寮でのルールには“OBから誘われた場合は門限を越えて帰宅しても良い”という例外があったが、その悪しき風習も撤廃した。

「一流になるには、普段から一流らしい振る舞いをしなければならない」

そうした考えが藤原氏にはあったからだ。

終始、穏やかな語り口の藤原氏。だが、その言葉の一つ一つには、母校の陸上競技部長距離ブロックを再生させるという確固たる決意が感じられた

チームの雰囲気を変えるための奇抜な作戦

改革は生活面の改善だけにとどまらない。チームの士気を高めるために、ある大胆な方法を取った。

2016年の全日本大学駅伝予選会で大惨敗を喫した直後の7月、1年生を主将および副主将に任命したのだ。大学陸上界では異例中の異例といえる人選だった。

「当時、“この雰囲気ではまずい”という危機感を最も感じていたのは、1年生でした。上級生が悪かったわけではありません。今までそうした指導を受けてこなかったのですから、無理もありません。1年生が持つ危機感、緊張感をチーム全体に伝播させるのが目的でしたが、カンフル剤どころか、強心剤のようなものですよ」

しかし、上下関係が重んじられる大学体育会において、下級生キャプテンはみんなに受け入れられたのだろうか?

「上下関係を崩したわけではありません。肉体面はもちろん、精神面でも成長過程にある大学生ですから、下級生が上級生を敬うのは当然です。4年生が主体となり、3年生が補佐し、1・2年生がついていく…という関係が、チームの本来あるべき姿だと思っています。

そのため各学年から幹事を出し、主将・副主将を補佐する役割を与えたのですが、この人事が予想以上にうまく機能しました。幹事たちによる補佐と上級生たちの器量、そして当時、主務を務めた3年生(当時)の木村総志のバックアップが大きかったと思います」

主務とは、部に選手として所属しながらチームを円滑に運営するためのさまざまな業務を行う役割のこと。監督と選手の間を取り持ち、選手たちの体調管理、メンタル面のサポートまで行う。

監督の意図を学生の立場から伝えることのできる貴重な存在。主務のバックアップなくして、1年生キャプテンの成功はあり得なかったのである。

「2年生から強くなるのが中央大学 陸上競技部長距離ブロックの特徴」と藤原氏は語る(写真は2018年の箱根駅伝で7区を走った当時2年の安永直斗選手)

連続出場記録ストップからの再起を懸けた戦い

そうした数々の改革案はおおむね良好に機能し始めたが、すぐに成果が出たわけではない。

監督就任後、初めての箱根駅伝は予選会(2016年10月)で敗退し、中央大学の連続出場記録は87回でストップ。しかし周囲にチームの現状を知らしめるには、十分過ぎるインパクトを持った出来事だった。

「強烈な経験でしたよ。87回続いた伝統を自分が監督を務める代で途切れさせてしまったのですから。でも、いつまでも下を向いているわけにはいかないので、勝つチームとの違い、自分たちに足りないものは何かを分析し、次への準備を始めました」

監督就任から箱根駅伝予選会まで約半年という期間は、結果を出すには余りにも短か過ぎた。だが、改革の影響はその後少しずつ表れ始める。

翌年の箱根駅伝では無事に予選会を通過し、本大会では15位でフィニッシュ。そしてことしは予選会を8位(予選会通過校11校)で通過して92回目の出場を確定させ、新たな連続出場記録へと歩み出した。

決して満足できる結果ではないというが、復活への足掛かりはどうにかつかめた形だ。

一流の競技者らしい生活が身に付く環境づくり。そして選手はもちろん、監督、コーチ、主務、マネジャーたちが一丸となって勝利を目指す体制を作ること。

それが藤原新体制における最初の一歩だった。



<2018年12月13日(木)配信の【後編】に続く>
今どきの若者を上手にマネジメントする術、チームの一体感を育む指導方法とは?

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