特集
ゲノム産業革命

ゲノム編集は自然界の常識の再現!京大発「肉厚マダイ」が養殖産業を救う

拡大する魚の消費量に対応する新たな一手はゲノム編集した養殖魚の育成にあり

2019年6月5日、東京大学の研究チームが一般市民を対象にした意識調査を実施したところ、ゲノム編集技術で開発された食品を「食べたくない」と答えた人が4割を超えたと、日本ゲノム編集学会で報告された。国がその流通を認めようとする中、なぜ拒否反応を示す人が多いのか。そこには、「正しい知識が伝わっていない」という現状があるという。そこで本特集第2回では、「肉厚マダイ」を開発した京都大学大学院 農学研究科 助教の木下政人氏に、その仕組みを詳しく教えてもらった。

ゲノム編集魚誕生のヒントはムキムキの肉牛

本特集第1回でも触れた通り、国内で今、ゲノム編集技術を活用した研究開発が最も活発で、その流通が目前に迫るのが「食品」だ。

筑波大学は、血圧を下げる効果があるとされるアミノ酸「GABA」を通常の15倍多く含むトマトを開発。ことし中の発売開始を目指している。また、農業・食品産業技術総合研究機構は収量の多いゲノム編集イネを開発し、2017年に最初の収穫を実施。産業技術総合研究所は、卵のアレルゲンが少ないニワトリの育成に成功した。

そんな中、昨年の夏ごろから、ゲノムを編集され、「肉厚マダイ」「豊満なトラフグ」などと呼ばれる京都大学発の養殖魚が注目を集めている。日本の漁業・養殖業に新たな可能性を切り開く可能性を期待されているのだ。

「『ベルジアン・ブルー』や『ピエモンテ』といった、筋肉がムキムキになったヨーロッパの肉牛をご存じですか?一見硬そうな印象を持たれるようですが、筋が少ない柔らかな赤身肉が特徴で、人気のある品種です。実は、これらの肉牛は、DNAが変異したことで、ミオスタチンという筋肉細胞の増加を抑える遺伝子が機能しなくなったことが分かっています。つまり、筋肉の成長を止めるブレーキが壊れてしまっているために、体が肥大化してしまったわけです。ゲノム編集の技術を、私の専門分野である海洋生物で生かそうと考えたとき、このミオスタチンの欠損が大きなヒントになりました」

ムキムキの肉牛として知られるベルジアン・ブルーとピエモンテ。こう見えて繊細なため、飼育は簡単ではないという

画像提供:木下政人

これらの肉牛は、ミオスタチンの突然変異を利用して品種化されたものだが、こうした「育種」、つまり品種改良が、水産業界では進んでいなかったと、京都大学大学院 農学研究科 助教の木下政人氏は指摘する。

例えば「関サバ」や「大間のマグロ」は単に“ブランド”を示したものであり、品種としては、あくまで「サバ」と「マグロ」。

一方で、よりさっぱりとおいしい身になる「近大マダイ」や、安価なマスをサーモンに近づけた「サーモントラウト」などが、数少ない育種された魚たちだ。ここに「ゲノム編集」の技術を持ち込んで、肉牛と同様にミオスタチンを欠損させた魚を、意図的に育てようというのが、研究のスタートだった。

ゲノム編集したマダイやトラフグの研究を行う京都大学大学院 助教の木下氏。もともと養殖の「近大マダイ」を飼育していた近畿大学と共同でプロジェクトを立ち上げた

「近年、健康志向の上昇で魚食の気運が高まっています。養殖ものを増やして、供給量を増やせれば良いのですが、魚の養殖というのは効率のいいものばかりではないんです。例えば、マグロなら一度に数十万以上の卵を産みますが、大きくなるまで育つのは千尾以下と言われています。3歳までの生残率は、0.1%以下です。そのため、養殖業はマダイやフグ、サーモンといった“生き残り率”のいい魚に、どうしても偏ってしまうのです。

とはいえ、サーモンならノルウェーなど北欧諸国が国策で養殖に力を入れていますし、日本人向けに出荷する品種には、日本人向けの味になるような餌を与えるなど、安いだけでなく、味もどんどん良くなっている。最近では一度も冷凍せずに空輸される『オーロラサーモン』なども人気で、もはや太刀打ちできません。そこで私たちは、海外の養殖生産量が多くない上、養殖での生存率が高く、日本人に人気のあるマダイとトラフグを選びました」

食品のゲノム編集は“一部を削除”するだけ

ここであらためて、「ゲノム編集」とは何を編集しているのか、具体的に触れていきたい。

まず、木下氏は「ゲノムは『生物の設計図』、遺伝子はその設計図の『パーツ』、そしてDNAがそのパーツを組み立てる『部品』と考えると分かりやすい」と説明する。

「例えば、人間を作るためには、目とか鼻とか、毛、爪、指など、さまざまな『パーツ』が必要ですよね?魚なら、ヒレだったりうろこだったりがそれに当たります。これらは、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4つの物質(=『DNA』)が、さまざまな配列で構成する『遺伝子』によって作られます。少しややこしいですが、人間の目なら『TCGCGAGGTGCA』、毛なら『GGTCGATTTG』というDNAのセットが、それぞれの遺伝子というわけです。

こうして構成された、およそ2万5000個の人間に必要なパーツ(=遺伝子)を全てまとめて、『ヒトゲノム』と呼びます。つまり、人間を作り上げる設計図の全ページが『ゲノム』となるのです。同じ人間でも、目が二重の人だったり一重の人だったり、肌が白い人だったり茶色い人だったりがいるのは、それぞれの遺伝子に含まれるDNAの並びが微妙に異なるためなんですよ。そして、DNAを一部欠損させることで、ある特定の遺伝子を“変異”させるのが、ゲノム編集の技術です」

2万個を超える人間の遺伝子の中には、30億個以上のDNAが含まれているという

画像提供:木下政人

木下氏は、狙った遺伝子のDNAを一部切除することができるゲノム編集技術「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス9)」を用いて、マダイが持つミオスタチンの遺伝子を破壊(卵の時点で、ミオスタチンの遺伝子に作用する酵素を注入)。ミオスタチンの機能を欠損させたマダイを、ベルジアン・ブルーなどと同じように、筋肉質な「肉厚マダイ」へと成長させることに成功した。豊満なトラフグも、同じ要領で「食欲」を抑える遺伝子を破壊し、より早く成長するよう編集されている。

料亭などで提供されるトラフグは2kgほどのもの。そこまで成長させるには通常3~4年かかるが、ゲノム編集したものだと1年半ほどで達するという

画像提供:木下政人

「日本では特に、食品についての天然信仰が根強く、『ゲノム編集』と聞いただけで嫌悪感を示す方もまだまだ少なくありません。でも、実はこの遺伝子の突然変異というのは、もともと自然界の中でも起こっていることなんです。

紫外線や天然物質による影響、増殖する際の細胞のコピーミスなどによって、DNAが一部傷付くことは多々あります。しかも、自然界の場合は、それがどの遺伝子で、いつ起きるのかが分からない。ところがゲノム編集の技術を用いると、狙った遺伝子に素早く変異を起こすことができるようになった、というだけなのです」

あくまで、自然界で起きていたことを、ピンポイントに狙って行えるのがゲノム編集。遺伝子組み換え技術とは違い、何かを足すことはしない

画像提供:木下政人

つまり、意図せずしてミオスタチンが欠損した天然のマダイが存在することも、十分にあり得るということだ。あくまで、もともと持っていたDNAを一部削除するだけの作業なので、「ゲノム編集で害虫に強くなった大豆があったとしたら、天然の品種ながら農薬たっぷりで育てた大豆よりも、ゲノム編集されて無農薬で育った大豆の方が、よっぽど安全でしょう」と、木下氏は続ける。

高級食材にも応用可能?ゲノム編集されたカニやエビの登場なるか

では、全くデメリットはないのだろうか。

「よく、ゲノム編集による『オフターゲット』の問題、つまり一部のDNAを傷付けたことによって、狙ったところ以外の遺伝子に変異が起きてしまうことはないのか?と聞かれるのですが、自然界で発生する何が起こるか分からない変異に比べれば、そのリスクは低いでしょう。もしかすると、人に役立つものが作られる可能性もあります。もちろん、医療分野においては、それが人命に直結する可能性が高いため、より慎重にならなければいけないと思います。

あとは、味について懸念する声もあります。ただ、味の面では、ゲノム編集よりも餌の影響の方が大きいんです。また味とは別の問題ですが、肉厚マダイの場合は筋が少なく身が柔らかくなるため、天然ものに比べるとコリコリした食感はなく、刺身向きではないかもしれません。ですが、煮付けや炊き込みご飯にする分には何の問題もありませんので、どう調理するかは、消費者に選んでもらえればいいと考えています」

今後は、エビやカニなどのゲノム編集にも着手していきたいという木下氏。ただ、その道のりは容易ではないようだ。

研究室の地下には、チームが飼育する稚魚たちがたくさん

「孵化(ふか)効率が良いマダイでも、一つ一つ手作業でゲノム編集した卵約2500粒に対して、孵化したのは半数以下でした。しかも、その時点では、ゲノム編集が正しく行われているかも分かりません。DNAを切断した部分が、上手に修復されてしまっている可能性もある。そういう地道な作業の繰り返しなのです。

マダイとトラフグは、数年掛かってようやくゲノム編集したものが生体になり、食べられることも分かったところ。今は、飼育環境を整えるためのコストがかかってしまっているので、今後はさまざまな業界の人に入ってきていただき、コストを下げることで、より効率よく養殖していければいいなと考えています。成功すれば、『日本の白身魚』として、海外に輸出することだってできるようになるかもしれません」

CRISPR-Cas9で、遺伝情報の処理を行うRNA(リボ核酸)という核酸を注入してミオスタチンを欠損させる。この注入作業は卵一つ一つに手作業で行うそう

画像提供:木下政人

木下氏の研究の根本には、関わる人たちが運用しやすく、消費者に求められるものを作っていきたいという思いがある。その第一歩として、ゲノム編集によって誕生したマダイやトラフグがスーパーの店頭に並ぶのも、もうすぐだろう。

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