特集
ゲノム産業革命

編集・合成のさらに先!「人工細胞リアクタ」がゲノム産業を飛躍させる

この世に存在しない「人工細胞」が生まれることで新たに合成されたゲノムが命を宿す

特集「ゲノム産業革命」の第1回、第2回では、生物の設計図でありソフトウェアでもあるゲノムやDNAを編集・合成する技術の可能性について、また、実際にそれら技術を応用した「肉厚マダイ」など商品開発の実情について話を聞いてきた。特集第3回となる本稿では、革新的な“ソフト”を載せるためのハードウェアとなる「人工細胞」を生み出す研究にフォーカス。国内の研究で先端を行く東京大学大学院 工学系研究科の野地博行教授に、現在までの成果やゲノム産業の未来について聞いた。

人工細胞リアクタで未知なるゲノムを載せる器を作る!

「ゲノムやDNAが生物のソフトウェアおよび設計図とするならば、細胞はハードウェア、より正確には『ウェットウェア』だ」と、東京大学大学院の野地博行教授は大前提を教えてくれた。

ウェットウェアとは、機械的で硬い入れ物ではなく、生物的かつ有機的、柔軟な入れ物というニュアンスを持つ。いずれにせよ、「設計図やソフトウェアを動かすための組織化された物質」という意味合いである。高機能なアプリやソフトウェアを動かすためには、高性能なスマートフォンやPCといったハードウェアが必要となるが、ゲノムやDNAと細胞の関係は同じようなものだ。

高機能物質の生産が自在にできる人工細胞の創生を目指している野地教授

野地教授の研究テーマの一つは、生物の細胞から分解・抽出したDNA分子(DNAの構成成分が結合した分子。以下、分子)や、人工合成された分子を組み立てて、自然界には存在しない新たな設計図やソフトウェア(ゲノムやDNA)を載せることができる「人工細胞」を生み出すことだ。また、その「人工細胞」を生み出すための構造や効果を持った「人工細胞リアクタ」というデバイスを開発している。

「人工細胞を作るためには、分子を集めたり混ぜたりする必要があります。ですが、分子をただ持ってきても大きさや構造を整えて組み上げることが難しい。細胞がうまく生成されないのです。そのため、分子が細胞になる自己組織化を促したり、われわれが意図した通りに組み上げたりするための機能や仕組み、そしてそれを実現できるデバイスが必要になります。私たちはそのデバイスやコンセプトを総称して『人工細胞リアクタ』と呼んでいるのです」

ここで人工細胞リアクタが、どのようなものなのか補足しておこう。

マイクロメートル(μm:0.001mm、大腸菌のサイズ)単位の試験管に似たくぼみが、100万個ほど並んでいるガラス板のようなデバイスがあると想像してほしい。このくぼみには、それぞれ実験材料を個別に入れられる。そこに、DNAを複製できるような特徴を持つ分子を入れると、先述したような実験者の意図する方向に向けて、一つ一つのくぼみ(リアクタ)が独立に機能するという。

大雑把に言えば、扱いづらい分子をプラモデルのように組み上げるために、化学反応を起こす機能を持った工場のようなものだ。しかも、1つのデバイスつで同時に100万個ほど試作できる大型工場というのが、「人工細胞リアクタ」ということになる。その人工細胞リアクタを利用して、最終的に、まだ世界にはない全く新しい細胞を生み出そうというのが野地教授の研究目標だ。

人工細胞リアクタのイメージ図。4μmは0.004mm

画像提供:野地博行

「遺伝子編集やゲノム編集という言葉が盛んになっていますが、現在のバイオテクノロジー技術は、あくまで天然の細胞に立脚したものです。例えば『ゲノム編集』というのは、自然界に存在している遺伝子配列のほんのごく一部を変えるイメージです。DNAを構成する塩基配列・ATGC(DNAのプログラムコード。アデニン、チミン、グアニン、シトシン)のスクリプト(文字列)が何万ページにもわたって書いている本があるとしたら、そのうちの数ページとか数行をざっといじっているのにすぎないんですよ。

一方で、自然界には試されたことがない(組み合わせは考えられるが実在しない)塩基配列が山のようにあるのですが、それを白紙の状態から書き出そうというのが『ゲノム合成』。ただ、自然界にはない新たなソフトウェアやスクリプトをゼロから書けたとしても、プログラムを実行する物質、つまりウェットウェアがないと生きている状態とは言えません。そこで、私たちは人工細胞リアクタを使って、新たなソフトウェアの“乗り物”としての細胞を生み出す技術を確立しようとしているのです」

つまり、いくら未知なるゲノムを生成したとしても、それを機能させるための器、細胞がなければそれは機能しない。ただ、その細胞の生成を自然発生に任せておけば、いつできるのか、そもそもその細胞が生まれるのかも分からないのだ。そこで、人工的に細胞を生成することができれば、「天然の細胞、もしくは自然淘汰の過程で試されることがなかった塩基配列を持った未知の細胞が作れるかもしれない」と野地教授は話す。

人工細胞は新たなエネルギー資源の源泉に成り得るか

では、人工細胞の研究が進めばどのようなことが起こるのか。野地教授自身は「実際に作ってみないと分からないことが多い」とはしながらも、例えば、現在の塩基配列であるATGCは4種類だが、さらに「WXYZ」を加えて6種類、もしくは8種類などに増やして、自然界に存在しない全く新しい遺伝子コードを持った細胞を生み出すことができるはずだという。

「逆にゲノムを短くし、よりシンプルな細胞を生み出せる可能性もあります。私自身も、生物が生きているという状態が、どれほど単純な物質で成立できるのかを知るという側面に強い興味があるのです。現在の生物はあまりにも高度にでき過ぎていて、時にその神秘に圧倒されますが、最初の段階ではきっとシンプルだったはず。研究は、原始生命、もしくは生命の根源を見つけることにも一役買うことができるだろうと考えています」

野地教授は、「人工細胞を作ってから死にたいと思っています」と、人生を懸けてこの研究に勤しんでいる

特集第1回でも触れたように、米国ではゲノム合成で新しく生み出したバクテリアを工業生産に応用するベンチャー企業が既に生まれているが、自然に存在する細胞を改変したり、全く新しいDNAを持った人工細胞を生み出したりする技術も、新しい商機を生む源泉として注目を浴びているという。中でも、該当するビジネスの一つが、「エネルギー産業」だ。

米国の分子生物学者であり実業家であるクレイグ・ヴェンターは、天然生物の遺伝子コードを一部改変し、それと同じDNAを人工的に化学薬品で再現、バクテリアと混ぜて増殖させることで、そこから新たな細胞を取り出すという研究・開発を行っている。

この研究プロジェクトには、2010年までの15年間で40億円という莫大な資金が投じられている。現在、クレイグ・ヴェンターのスポンサーの中には石油系メーカーもあるそうで、彼らは、前述したような研究成果に立脚・協力し、「光合成で石油を生む細胞を作る」というような、かなり先鋭的な試みも始めているという。

病気診断の脱中央化!ガンやアルツハイマーも自己検診できる?

野地教授の研究目標は、人工的にデザインされた新たな細胞を生み出すというアカデミックな領域にフォーカスされているが、その手段である人工細胞リアクタにはビジネス応用の可能性が数多くある。例えば、その一つが「センシング」だ。言い換えれば、「分子の感知」である。

「微小な試験管が並んでいて、そこで分子に遺伝子発現の機能を持たせるのが人工細胞リアクタですが、その機能を応用すれば、発光させて分子を検出することができます。最近では、インフルエンザの検知に関する発表なども行いました。これが発展していけば、わざわざ病院に行って鼻に棒をさして痛い思いをせずとも、在宅かつスマホで、唾液やうがい液から陽性か陰性か判断することもできるようになるでしょう。

私はもともと、高感度にタンパク質を検出してメカニズムを探ることをライフワークにしてきましたが、その延長線上で分子を検出する作業をより生活に身近にしたいと考えてきました。現在、妊娠検査などは在宅で気軽にできますが、ガンやアルツハイマー、HIVなども人工細胞リアクタのデバイスで陽性か陰性か検出できるようになればよいと考えています」

高感度な検出デバイスとしての「リアクタ」という技術が普及すれば、過疎地の高齢者を支える遠隔診療の実現も促進されるはずだ。野地教授が言うインフルエンザ検知と同じく、インターネット上でリアクタを買って検査し、スマホのカメラやアプリで結果を撮影して医者に送って、オンライン診断。処方箋を発行してもらい、ネット経由で薬を配達してもらうというような仕組みだ。

リアクタによって生まれるイノベーションの可能性。病気の自己検査が実現されれば、特に医療の現場に与えるインパクトは絶大だ

出典:革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)HPより引用

病気を検知するデバイスや仕組みは医療の世界では高度化されて久しいが、その技術をより身近にするという点においてはイノベーションがなかなか起きていない。教授は検出を身近にしていくようなフローの全体像を「診断の脱中央化」と呼んでおり、その方向で関連技術を革新していきたいという。

「センシング以外にも、高品質なタンパク質を生み出すことにも、人工細胞リアクタは応用できるでしょう。DNAという分子は一つ一つ異なる配列を持っていて、そこからさまざまな酵素(化学反応を引き起こす触媒になるタンパク質)が生み出されます。そこで例えば、人工細胞リアクタにDNA分子をばらまいて観察し、その中から最も工業利用ができそうな性能が良いものだけを回収する。DNAには酵素の設計図が書かれているので、それを利用すれば、酵素を進化させることができるのです。つまり、“スーパー酵素発見機”としても使えるということです」

野地教授は、需要を取り込み、実用につながる方向へと技術をブラッシュアップさせているが、それでも人類が誰も成し得ていない「全く新しい細胞を人工的に生み出す」という最終目標は揺るがないという。むしろ、そのようなユニークな発想を堅持する個性や忍耐強さがなければ、本当のイノベーションは生まれないとも。

特集を通じて、ゲノム編集・合成、そしてそれを載せるためのウェットウェア・人工細胞には、まだまだ多くの可能性が眠っていることが明らかになった。研究者たちの好奇心と熱意は世界をどのように変えていくのか。バイオ技術の新たな地平に注目していきたい。

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