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特集
3.11復興のエネルギー

廃炉作業の前線基地をもう一度緑のグラウンドに

サッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」復興プロジェクト

東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故。1997年に日本初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして開設された「Jヴィレッジ」はその事故対応の前線基地となり、本来のスポーツ施設としての歩みを止めていた。2014年5月、Jヴィレッジ復興プロジェクトが結成され、止まった時計は再び動き始める──。そして今夏に一部営業が再開される運びとなり、このほどひと足早くメディアに公開された現地を訪ねた。

2000台のクルマに踏みしめられたピッチを天然芝に

1週間後には東日本大震災から丸7年を迎えようとしていた3月4日、日立市の取材を終えた「3.11復興のエネルギー」特集取材班は国道6号線を北上していた。

2011年3月11日以降、特別なエリアとなった福島第一原子力発電所の距離20kmほど。そこに文字通り足を踏み入れようとしていたが、拍子抜けするほど緊張感は感じられなかった。

「Jヴィレッジ」は福島県の浜通りと呼ばれる県東部の太平洋沿岸エリアに位置。双葉郡広野町と楢葉町にまたがっており、2012年に広野町、2015年に楢葉町がそれぞれ放射線量の安全性が確認され避難指示解除となっている。

道中、6号線には津波が来たことを示す標識も掲示されていた。が、道路はよく整備されていて、最高気温19度の快晴となった穏やかな朝のドライブは快適そのものだった。海岸に火力発電所の立つ広野町を過ぎると間もなく、交差点の脇に備えられたサッカーボールのオブジェが出迎えてくれた。

サッカーボールのオブジェが立つ国道6号の楢葉工業団地入口交差点を右折するとJヴィレッジへたどり着く

Jヴィレッジのメディア向け見学会は、まず2013年より同施設の代表取締役を務める上田栄治副社長のあいさつで始まった。

「復興工事は順調に進んでおりまして、営業の一部再開日が7月28日(土)に決まりました(受付は4月から)。本日は、日本最高の施設の全容を見ていただければと思います」

上田さんは、かつてベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)の監督やなでしこジャパン(女子日本代表)の監督を務めており、Jヴィレッジとの縁も深い。

「2004年には監督していた女子代表の合宿をここで3週間ぶっ通しで行いました。また、Jヴィレッジで唯一行われたJリーグの公式戦は2005年のJ2戦で、モンテディオ山形と私が監督していたベルマーレ平塚の一戦なんです」

特に2004年のアテネ五輪で監督を務めたサッカー日本女子代表をベスト8に導き「なでしこジャパン」の愛称を一気に全国区にしたことで知られる上田さん。背後に立つ宿泊・研修施設であるセンター棟は、震災後は作業員の詰め所となっていた

東京ドームおよそ10個分、49haもの広大な敷地にピッチ10面、スタジアム、宿泊・研修施設が備えられたJヴィレッジ。東日本大震災が発生するまでは年間50万人、累計で680万人が来場し、サッカー日本代表の合宿はもとより、2002年の日韓ワールドカップの際にはバティストゥータらアルゼンチン代表もここでキャンプを行っている。

しかし、東日本大震災の発生後、2011年3月15日には国に移管され、同月18 日からは福島第一原子力発電所廃炉作業の前線基地となる。芝生のピッチには砂利が敷かれ、ここを中継地点として発電所へ向かう作業員のクルマ約2000台がびっしりと駐車されていたという。

今回のメディア見学会のガイド役となった東京電力ホールディングスの原子力安全・統括部 Jヴィレッジ復興推進グループマネージャー 児玉達朗さんは言う。

「センターピッチと呼んでいる3~5番ピッチ全面に高さ40cmにもおよぶ砂利を敷いて駐車場にしていました。事故発生当時、芝を大切に育ててくださっていた方にお願いして、芝生を刈ってもらって砂利をまいたんです。作業をしながら涙を浮かべておられて、本当に申し訳なくて…。今回、クルマに踏みしめられたピッチをまた芝生に戻すため、いったん全部掘り起こしてやり直しました。天然芝のピッチはふかふかですよ。もう少ししたら一面緑になります」

写真中央でメディアに説明をしている人物が東京電力ホールディングスの児玉さん。奥には新設された全天候型練習場(後述)のドームが見える

センターピッチは作業員のための駐車場となっていた

画像提供:Jヴィレッジ


Jヴィレッジの震災発生時や事故対策拠点となっていた様子、また2017年1月から2018年2月までの復興工事の進捗(しんちょく)を記録した動画(提供:Jヴィレッジ)

日本初となる膜屋根構造の全天候型練習場を新設

上田さんは、廃炉作業の前線基地という役割を担うことの意義を認めつつも、2013年にJヴィレッジへ入った当初は、大きなショックを受けたという。

「震災前は利用する側だったわけですが、そのピッチがびっしりとクルマで埋まっている姿は非常にショックでした。スタジアムにも仮設の寮ができていて、本当にいつか元に戻せるのかという不安は確かにありました」

そんなJヴィレッジに復興の機運が盛り上がったのは、その年の9月7日(現地時間)。2020年の五輪・東京大会の開催決定だった。

東京大会の開催が希望の芽となり、翌2014年5月にはJヴィレッジ復興プロジェクト結成、2015年1月には「新生Jヴィレッジ」復興・再整備計画策定とプロジェクトが動き始める。

そして冒頭のコメントどおり、この7月28日に一部’営業再開の運びとなった。

「私も建物の中をつぶさに見たのはきょうが初めてでした。美術品が飾ってあったり、カーテンが下げられていたり、かなり営業再開が近づいてきたなという実感が持てました。非常に楽しみです」

センター棟の内部、3Fコンベンションホール。建物はほとんど東日本大震災の被害を受けなかったが、館内はカーペットや壁のクロスを張り替えるなど「お借りしたものをきれいにしてお返しする」(児玉さん)という方針で原状回復されている。下はチームの合宿などに使われていた2Fの4人部屋の客室

“新生”とあるとおり、Jヴィレッジの復興にあたっては一部従来施設にリニューアルが加えられることになった。一つは、日本初となる全天候型練習場の建設だ。

「女子代表の合宿時、ピッチと宿泊施設が近く、また気候も東京と変わらないという環境の良さが思い出に残っています。一人もけがをしたり病気にならなかったんです。今回、全天候型練習場ができたことでさらに、例えば強風の日でもこの中で戦術練習ができたりする環境が整ったことは非常に強みになってくると考えています」

この全天候型練習場と隣接する北フィールド、ならびに前述のスタジアムは、2019年4月のグランドオープン時に営業開始となる予定だ。

新設された全天候型練習場。内部は人工芝となり、サッカーとラグビーに利用可能。天井にボールが当たることがないよう、屋内で最大約22mの高さがとられている。日光を透過する膜屋根は、鉄骨に張られているのでドームのように内圧がかかっているわけではなく、ボールの飛び方には影響しない

既存のツインルームをつなげて2部屋新設されたスイートルーム

既存のカフェテリア「ハーフタイム」は300平方mほど広げられ、合宿時に選手たちがさらに快適に利用できるようにリニューアルされた。テーブルの天板や椅子には、福島県産の杉材が使用されている

福島からイノベーションをもたらすビジネスのサポートも

リニューアルについては、さらにもう一つトピックスがある。従来からの宿泊施設に加え、別にもう1棟、コンベンションホールを備えた新ホテル棟が建設されている。

「新宿泊施設は120人程度の利用が可能で、既存の客室と合わせて500人近い方々に宿泊いただくことが可能となり、より大きな大会もできるようになります。それだけのピッチ数もあります。新生Jヴィレッジには、何はともあれより多くの方に足を運んでいただきたい。一度、足を運んでいただければ、ここの安全性が実感いただける。日本全国や海外の方にも来ていただいて、そうすることでまた口伝で、ここは安全だという認識が広まっていく。もちろん放射線量は全く基準値以下です。私たちは毎日、ここで生活していますので自信を持って発信していきたいと思います」(上田さん)

センター棟とは別に、新たに建設されている新ホテル棟。こちらはシングルルームが中心(117室、ツイン使用も可能)で、会議やパーティーに利用可能なコンベンションホール(円卓型で150~300名収容可能)も併設。ビジネスユースの取り込みを狙う

画像提供:Jヴィレッジ

センター棟と新ホテル棟のエントランス向かいに立つスポーツ医療施設には、ソーラーパネルを備えた線量計が設置されていた。この日、表示されていた数値は0.133μSv/h

福島では現在、東日本大震災や原子力事故により失われた浜通り地域などの産業を回復するべく、「福島イノベーション・コースト構想」が進められている。廃炉、ロボット、エネルギー、農林水産などの分野における国際研究産業都市を構築しようという計画だ。

会議機能を備えたホテル棟の新設は、スポーツ振興ばかりでなくそういったビジネスユースへの対応も念頭に置かれている。もしかしたら、Jヴィレッジが社会を変革するようなエネルギーの新産業創出に貢献するかもしれない──。

2020年3月に全線開通予定のJR常磐線には、Jヴィレッジの最寄りとなる新駅設置の構想も持ち上がっているという。Jヴィレッジの復興が呼び水となって、浜通りにまた人の流れが生み出されようとしている。

上田さんは、そんなJヴィレッジ復興に寄せられたエネルギーについて──

「もともとJヴィレッジは東京電力さんが福島県に寄贈したものです。それが廃炉作業の前線基地となったわけですが、また回復してもらった。そこには、東京電力さんや建設会社の方々、福島県の皆さんの思いなど、人の力やエネルギーが集まった。そうやって復興したこのJヴィレッジを、今度はぜひわれわれが、大きなエネルギーに変えるよう生かしていかなければ」と最後に決意を語ってくれた。

5000人収容可能で、これまでさまざまな大会が行われてきた天然芝のスタジアムは、2019年4月のグランドオープンを目指して復旧工事が進められている

Jヴィレッジから海側へ数百mの位置にJR常磐線が通る。現在、Jヴィレッジから約10km先の富岡─浪江駅間が不通となっているが、2020年3月には全線開通予定。Jヴィレッジの最寄り駅を新設設置する計画も検討されている

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