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【物理学】【医学・生理学】【化学】ノーベル賞ジャンル最前線

人はなぜ“眠る”のか? 睡眠の謎に迫り、そのメカニズムを探る

【医学・生理学】筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)柳沢正史機構長

働き盛りであろうEMIRA読者の中には、ウイークデーは睡眠不足と戦いながら仕事をし、週末になると午前中は寝て過ごすという人もいるのではないだろうか。そもそも人をはじめとする多くの生き物は、なぜ「眠らなければならない」のか──。そして長く起きていると、なぜ眠くなるのか? そのとき脳内で起こっているメカニズムはいまだ解明されていない。今回は睡眠の謎の解明を目指す、筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)の柳沢正史機構長・教授を訪ねた。

週末に寝だめをしても、睡眠不足は解消できない?

数年前、「睡眠負債」という言葉が新語・流行語大賞にノミネートされた。

それほどまでに睡眠に関する悩みを抱えている人が多いということだ。

では、そもそも十分な睡眠とはどういった状態を指すのか? 長時間眠れば良いのか、それとも深く眠ることが大事なのか。

「必要な睡眠量というのは年齢によっても変わるし、個人差もあります。それを踏まえつつ多くの研究者が同意しているのは、健康的な成人に必要な睡眠量は6~8時間ということです」

そう語るのは、覚醒と睡眠を切り替えるスイッチの制御に関わる「オレキシン」を見つけた柳沢さん。しかし一方で、6~8時間が適正である理由は分かっていないという。

人はなぜ眠らなければならないのか? そもそも眠気とは何なのか? そのメカニズムと実体に迫る研究を続ける柳沢さん

「他の哺乳類を見ると、ものすごく幅があります。1日の睡眠時間が短いものでは3時間程度、長いと20時間を超えます。ヒトは霊長類の中では短い方なのですが、その代わり眠りが深いとされています。その上でまとまった時間続けて眠る能力にたけているのです。ヒトは約1時間半ごとにノンレム睡眠とレム睡眠のサイクルを4~6回ほど繰り返します。そして後半はレム睡眠が多くなります。これは人間特有の現象です」

理想的な睡眠のサイクルを保ち、ノンレム睡眠とレム睡眠の両方を十分量確保するには、ある程度長く眠る必要がある。しかし現代においては、6~8時間の睡眠を確保できない人が多そうだ。

「最も怖いのは“睡眠不足であることを自覚できない人”が多いということ。睡眠不足のまま生活を続けていると、確実に健康に影響が出ます。具体的にはメタボリック症候群に含まれる肥満や高血圧、高血糖、高脂血症など。さらに動脈硬化のリスクも上がるし、そこから脳卒中や心筋梗塞に結び付く可能性もあります。最近では、がんや認知症と睡眠不足との関係も指摘されています。慢性的な睡眠不足は本当に危ないんですよ」

病気のリスクもさることながら、“昼間の脳のパフォーマンスが確実に下がる”ことも問題だと柳沢さんは指摘する。

「講演会でよく話すのですが、『とにかく1週間でいいから、毎日いつもより1時間だけ長く寝てみなさい』と。それを実行したほとんどの人から“昼間の世界が変わった。効率的に仕事ができるようになった”と耳にしますよ」

とはいえ、普段の生活が忙しいと、たとえ1時間でも睡眠時間を増やすことは難しい。例えば、週末にある程度まとまった時間で“寝だめ”をしたり、最近になって導入する企業が増えている“昼寝”をしたりすることで睡眠不足を解消できないものなのか──。

「平日と休日の睡眠時間に差が出る人は、まさに睡眠不足の証拠。週末の2日間だけ長く寝ることでも多少は解消できますが、本質的に睡眠負債を返したことにはなりません」

ある研究で、普段の睡眠時間を確認した後、実験室に泊まり込んで、被験者に寝たいだけ寝てもらった。するとほとんどの被験者は最初の数日は十数時間近くも寝ていたが、実験開始から7~10日ほど経つとやがて落ち着き、毎日ほぼ一定の睡眠時間となった。その一定の睡眠時間は、最初に確認した普段の睡眠時間よりも1時間ほど長いものだったという。つまり、被験者らは実験開始時点で平均して1日あたり約1時間の睡眠負債を抱えており、それを7~10日かけて返済したことになる。

「昼寝が効果的なのは間違いありません。でも、寝不足の根本的な解決にはなり得ません。きちんと睡眠がとれていれば昼間寝ようとしても眠れません。一般的に、眠りに落ちるまで15分ほどかかるはずなのに、“さぁ、昼寝しよう”と1分くらいで寝てしまうのは睡眠不足である何よりの証拠です」

周囲が臨床医を目指す中、生物学研究の道を歩み始める

睡眠研究の権威として世界をリードする柳沢さん。しかし、ここまでには長い道のりがあった。

「子どものころから研究者になりたいと思っていました。分野を選ぶとき、臨床医で電気生理学の研究をしていた父が、“これからは生き物の生態や行動、DNAや脳のメカニズムを探る生物学が面白そうだ”とアドバイスをくれました。さらに医学部へ進めば、人間の生物学についても広く学べる、と。それで筑波大学医学専門学群に進み、最終的には臨床医ではなく基礎研究の道に進んだのです。1年生のときに履修した生物系の遺伝学の講義が面白くてね。僕はかなり真面目に勉強した方で(笑)、3年生からはどんどん成績も上がっていきました」

医学専門学群5年になると周囲は臨床医を目指す友人ばかり。柳沢さんも悩んだというが、「研究者をやりたいという意志はぶれなかったですね」と、大学院に進学する。

「薬理学の眞崎知生教授(当時)の研究室に所属するのですが、すぐに先生の指示で愛知県にある基礎生物学研究所に国内留学します。ここで生物学のさまざまな実験技術を習得しました。筋肉の収縮タンパク質の遺伝子を採取する実験を行い、論文をまとめることができました」

柳沢さんの奥に見えるのは、質量分析計と呼ばれる研究機器。ここに通常のマウス、人為的に断眠させたマウス、睡眠に関わる遺伝子が変異したマウスの脳から個別に抽出したタンパク質抽出液を投入すると、それぞれに含まれる膨大な種類のタンパク質がリストアップされる。そのデータを解析することで量や状態が変化しているタンパク質を見つけることができる

1年間の国内留学を終え筑波大学に戻ると、「より病気に関連した分野の研究がしたい」と模索。当時(1986<昭和61>年ごろ)、薬理学の分野で話題が高まっていた内皮細胞(血管・心臓・リンパ管の内張りを構成する細胞)に着目する。

「古典的な薬理学をやっている、後藤先生という助教授がいらしたのですが、彼がアメリカで買ってきた教科書に、“内皮由来の血管収縮因子があるらしい”という記述があったのです。なぜか、それが気になりました。考えた結果、これを精製できるのではないか、と。そして眞崎先生に、やらせてほしいとお願いしました」

眞崎教授は「半年間の期間限定なら」と条件付きで許可してくれた。すると柳沢さんは、その期間内で結果を出してみせる。

「当時の研究環境も良かったですね。私自身は分子生物学や細胞培養の技術を会得していましたし、周囲には血管バイオアッセイ(生物材料を用いて生物学的な応答を分析する方法)や物質精製の技術を持つ先生がいました。予備実験を始めたのが1987年の3月。そこからトントン拍子に進み、同年夏ごろには精製できました。構造も決まって、それを合成しても同じ活性があることを確認。一連のデータを秋までにそろえたのです」

こうして柳沢さんは、眞崎教授との約束通り、わずか半年で成果を出した。

そして翌86年3月、世界的学術誌「Nature」にて発表されたのが、血管収縮因子「エンドセリン」だ。エンドセリンは創薬ターゲットとして大きな注目を集め、のちに肺高血圧症治療薬の開発・上市につながっていく。

世界中から注目を浴びた学生時代の発表

エンドセリンを発表したとき、柳沢さんは弱冠27歳。若き研究者の偉業は、瞬く間に世界を席巻した。

「1990年にエンドセリン国際会議がつくばで行われたとき、ジョン・ベイン氏(イギリスの薬理学者。1982年にノーベル医学・生理学賞受賞)が、学会の紹介記事で私に触れてくれたんです。するとその記事が、ジョセフ・ゴールドスタインとマイケル・ブラウンという、2人のアメリカ人ノーベル賞学者の目に留まり、彼らが参加するハイレベルな研究会に呼ばれることになりました。そのタイミングも良かったんです。今も共同研究を行っている櫻井武さん(現WPI-IIIS副機構長・教授)がエンドセリンの受容体の一つを発見できたタイミングで、その論文を発表する直前でした。その内容を研究会で発表したことで彼らの私に対する評価はさらに高くなり、“アメリカに来い”と。僕自身アメリカで挑戦したかったので、そのチャンスを逃す手はなかったんです」

時を同じくして、筑波大学の恩師・眞崎教授が京都大学に移籍することになる。本格的な渡米まで準備に1年近くかかるということで、眞崎教授への恩返しの意味も含め、柳沢さんも京都大学に行き、研究室の立ち上げに精を出す。

そして1991年の暮れ、いよいよ研究のためにアメリカに渡るのだ。

WPI-IIISの研究室作りには、柳沢さんのアメリカでの経験が生かされている。物理的にも心理的にも、研究室間の垣根のない、広々とした空間もその一つ。それによってオープンで情報交換のしやすい雰囲気となっている

「准教授という地位が与えられ、ハワード・ヒューズ医学研究所の准研究員にも採用されました(のちに教授、正研究員に)。取り掛かったのは、エンドセリン研究の継続です。具体的には2つ。エンドセリンの受容体は複数種類あるのですが、それぞれのノックアウト・マウス(遺伝子操作により1つ以上の遺伝子を欠損させたマウス)を作って、どんな生理学的な変化が起きるかを片っ端から調べること。次に、自分で予測したエンドセリンの生合成に関わる変換酵素の本体を捕まえることです。2つの目標はやがて達成するのですが、時間はかかりました。渡米して最初の7~8年はエンドセリン一色でしたね」

目標を達成した柳沢さんが次に目をつけたのは“オーファン受容体”だ。

「受容体分子の中には、言い換えると、鍵の分からない鍵穴のようなものがあります。それがオーファン受容体です。当時はゲノムプロジェクトが進行中で、そういう鍵穴がたくさん見つかっていました。ですので、その鍵を見つけることができれば、何か新しいことができるんじゃないかと考えたんです」

柳沢さんには、鍵穴に対する鍵に相当する分子が見えさえすれば、それを精製する自信があった。加えてそのころ、前述の盟友・櫻井さんがポスドク(ポストドクター=博士研究員)として渡米してきた。

「ビギナーズラックでしょうね。彼がやって来てわずか半年ほどで非常に強い活性物質が見つかり、精製することができました。それが脳内のペプチド性神経伝達物質・オレキシンです」

柳沢さんらは当初、オレキシンは“食欲に関する活性物質”だと考えた。オレキシンが外側視床下部という、食欲や体重調節に関与する場所だけに存在していたからだ。実際、オレキシンを精製してラットに投与すると、たくさん食べるようになった。

ところが、次にオレキシンのノックアウト・マウスを作って観察をすると、異なる結果が出てきた。柳沢さんらの予測通りなら、オレキシンがなければ食欲が減り、痩せるはず。ところがノックアウト・マウスはよく食べ、基本的に健康だった。

「そこで思い出したのが、マウスは夜行性であるということ。だったら夜間の行動を観察しよう、と。実際に赤外線ビデオカメラで夜間も撮影すると、マウスが急に活動を停止して倒れ込むという異常行動を起こしました。“ナルコレプシー”という睡眠覚醒障害でした。最初はてんかん発作も疑ったのですが、脳波をとると覚醒からレム睡眠に直接移行していることが分かりました。これは“ナルコレプシー”という睡眠覚醒障害の症状そのものでした。これによってオレキシンは睡眠に関わるものだと確信し、1999年に論文を発表したのです」

オレキシンの先に待っていた「睡眠」という謎

アメリカでオレキシンを見つけたことは、柳沢さんのその後の道を大きく決定付けることになる。

「ナルコレプシーに関与していると分かった時点で、圧倒的に面白いと思いました。それまで睡眠を直接制御する遺伝子は何も見つかっていませんでしたから。さらにわれわれの発表から2年ほどしてアメリカの研究者が人間のナルコレプシーでもオレキシンが欠乏しているという結果を発表しました。これが決定的でしたね」

オレキシンの受容体への結合を阻害することで眠りを促す不眠症薬が承認されている。一般的に、薬の効果や副作用は人によって異なるので、作用機序が違う睡眠薬は、既存の睡眠薬と相性の良くない人にとって貴重な選択肢となり得る

当初、柳沢さんは、オレキシンを追究していけばナルコレプシーのみならず、睡眠そのものの謎も解けるだろうと考えていた。

「しかし、そうは問屋が卸さなくて(苦笑)。分かったことは、オレキシンは睡眠と覚醒を切り替えるスイッチの一つに過ぎないということ。もちろん重要なものではあります。オレキシンがなくなるとスイッチが睡眠方向に傾きやすくなり、すごく不安定になります。ただ、睡眠の総量は正常な人もナルコレプシーの患者さんも変わりません。ということは、オレキシンは睡眠の量を規定する根本的なメカニズムには関与しないということなのです」

そこで柳沢さんは、アプローチを変えることを思い付く。

「オレキシンだけをやっていても睡眠の本質は分からないから新しいことを始めよう、と。フォワードジェネティクス(順遺伝学:遺伝性が見られる形質から、その原因となる遺伝子を探り当てる研究)を始めました。人為的に遺伝子変異を起こしたマウスを何千匹も作って、1匹1匹睡眠を解析するという途方もない研究ですが、幸い最初の200匹の中に睡眠異常を持つマウスが見つかりました。これを続けていけば睡眠の謎に迫っていけるのではないかと考えていたとき、内閣府のFIRSTプログラム(最先端研究開発支援プログラム)の公募が始まり、当時の山田信博筑波大学学長(故人)の推薦もあって応募したところ見事に通りました。そうして2012年にできたのが、このWPI-IIISなんです」

応募内容は、マウスによる睡眠研究とナルコレプシーの治療薬開発だった。

「ただ、プロジェクトを始めてから成果として発表できるまでに時間はかかりました。最初にフォワードジェネティクスの論文を出したのは2016年ですから。でもね、このスタイルは最初から変わっていません。僕のやり方というのは、ずっと探査研究。もの探しなんですよ」

WPI-IIISの研究成果を分かりやすくまとめたアニメーション

オレキシンの論文を発表したのが、1999年7月。以来20年間にわたって研究を続けているが、いまだに睡眠については分からないことも、やるべきことも多いという。

「人はなぜ眠らなければならないのか。そもそも眠気とは何なのか。その実体になんとか迫りたい。それができれば、睡眠そのもののメカニズムも解けるはずだと思っているんです」

それを見つけるのは自分ではなくても良いという柳沢さん。これからもWPI-IIISに集まった精鋭たちと共に、現代神経科学最大の謎ともいうべき「睡眠」の本質を探していく。

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